第116号『負けから学ぶ』

先日、某社のコンペで敗れた。

通常、コンペの場合、まず企業側から競合する数社に対し、オリエンテーションがあり、制作依頼の趣旨や要望など伝えられる。
それから1週間か、長くて2週間の間、喧々諤々の論議の末、黙々と命題に取り組む。

プレッシャーも時間もかかる。
コンペは負けても制作費を貰えないことが多い。
それでもコンペは基本的に好きだ。
なぜなら、
1.自分たちの表現を提示できることにワクワクするしドキドキする。
2.勝ち負けがハッキリしている真剣勝負の世界だから、結果としてスキルが上がる。
3.勝ったら自慢できる。(笑)

企画書を揃え、制作物を確認し、プレゼンの準備をし臨んだ。
自分たちが考える限り、やるだけのことはやったという満足感があった。
自信作に仕上がった。
これで負けたら担当者の力量を疑うね。と、軽口も出た。

しかし、敗れた。

再度、オリエンテーションシートを読み返してみる。

理解に齟齬がなかったか。
デザインにインパクトがなかったか。
分析にミスがなかったか、等々。

なぜ採用されなかったのかと、暫く自問自答した。
どうにも納得がいかない。
直接、担当者に評価を伺った。

すぐに誠意のある回答が返ってきた。
個人的な見解としながら、期待していたものと違っていたというきっぱりとした意見を頂いた。
冷水を浴びた気分になった。

期待に添うことが出来なかったのはなぜか?

確かに、ものを作ることは楽しい。
そして、そのなかで自己完結(自己満足)してしまったものを見せられても、見せられた方はちっとも楽しくない。
むしろ楽しく作っていそうな雰囲気に特権的なものを読みとり、厭味すら感じてしまう。
そういう関係を醸成してしまったのではないか。

伝えることより、作ることに力が入り過ぎ、本当に伝えたいことが表明出来ていなかったのではないか。

幾つかの反省点が浮かび上がった。

自分が作りたいものを作って喜ぶのではなく、自分が作ったもので他人が喜び、その喜んだ顔を見て自分が喜ぶ。
つまり、メッセージは個人的な自己満足を越え、他人にとって意味があり、価値があるものを作ったとき初めて伝わる。

コンペは勝つこともあれば、負けることもある。
そして、勝つことより、負けることから学ぶものが多いことも再確認した。

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