年に1,2度、部屋の大掃除を兼ねてフリーマーケットに出店する。
日曜日、朝6時起床。
曇り空、少々肌寒い。
人出が気になる。
自分は決して物欲主義者ではない。(^^!
貧にして清いことを良しとしている。
しかし、気がつけば、貧にして清の言葉とは裏腹に、もはや、その魅力も使用の目的がなんであったのかさえも忘れ去ったモノが、部屋中に所狭しと点在している。
例えば、移動用に購入したCDウォークマンやMDプレーヤー。
しかし、電車に乗って音楽を聴くことなど稀である。
大概、外を眺めているか、居眠りをしているかである。
また、衣類にしても、TPOに合わせポロシャツもYシャツ、パンツ類そしてフリースも色違いで数着ある。
これもまた、普段着ているものはわずかな数の着回しで済ませている。
なかなか使う機会もないまま、もしもの時の安心を得るために購入したモノの数々である。
まるで、ここしばらくは来ることも無いであろう飢餓に備えて備蓄され続ける脂肪のように、たっぷりと身の回りに付いている。
だから、その脂肪を剥ぎ取るが如く、フリーマーケットに出店する。
それが1番目の理由。
さらに、出店するもう1つの理由は、普段、買う側でしかない自分が、売り手にまわるという面白さを体験できるからだ。
勿論、ノルマや商品の維持管理など、煩わしいことからまったく離れたお店屋さんごっこには違いない。
それでも、お客様と遣り取りする楽しさを味わうことは十分にできる。
自分の出店場所が決まり、商品を並べ一息つく。
周りを見れば、食器、衣類、CD、ゲームソフト等など、あらゆるモノが所狭しと会場内を埋め尽くしている。
今年、フリーマーケットで感じたことが幾つかある。
1.条件のよい天候ではなかったが、去年より出店数も来場者数も増えている。
2.総じて、商品単価が下がっている。
3.ただただ安いから買う、というお客様が圧倒的に増えた。
(ブランド品の値崩れも始まっている)
お客様との遣り取りで、一番多く耳にした言葉は「なんに使うか分からないけど、とりあえず買う」だった。
そこには、もはや商品に価格以外の意味や価値を見出すことを失い、その用途さえも判然としないまま、ただただ安いから買っとけ、といった風情が漂うばかりである。
商品の顔立ちなど、どこを探しても見えてはこない。
そして、お客様も売り手も、もはやそれを止める手立てを持ちえていないようにも思えた。
不意に村上龍の小説『希望の国のエクソダス』の一節を思いだした。
「この国には何でもある。だが希望だけがない」
本当に欲しいモノが分からない。
ひとめで違いのわかるモノ、お客様の期待を裏切らないモノ、人の心を癒すモノ、グッとくるモノ。
人々はいま、ドキドキするストーリーと志あるモノを探し求めている。