第15号『ことばとルーツ』

当時24歳だった友人のYくんは華僑の子弟であった。

彼とはあるボランティア活動で出会い、気が合い、時々一緒に食事をした。 ファッション専門学校卒業後、小さなメーカーのパタンナーとして働いていた。 しかし本当にそれが自分に合った仕事かどうかで悩んでもいた。

あるとき彼から相談があった。 華僑の子弟で、かつ25歳まであればどこの国からでもニューヨークかロスアンゼルスの華僑が運営している学校で北京語(広東語も入っていたかもしれない)と英語がほとんど無料で学べるといと。 自分はいまその最後の年齢になろうとしているが行くべきかどうか迷っている、と。 ほぼそんな内容だったと記憶している。

ぼくは迷わず、行くべきだと断言した。 (他人に相談を持ち掛けるとき大概、自分の意志は決まっているものですよね)

ことばは道具であるが文化でもある。

どこの国にいても自分たちの文化や民族といったルーツを背景に勝負している華僑の強さはこんなところにあるのかしらと思った。

比べられるものなのかどうかも判然としないのだが、いままで何人かの日本人の二世や三世の方とお会いしたが、大半の方は日本語を話せない。(あるいは話さないのかもしれないが・・・) その原因はどこにあるかは定かでないがともかく僕が知りうる限り事実はそうなのである。

日本の固有の文化やことばが危ういと言われて久しいが、もはや、日本人は日本という国土にいることでしか日本人であることを証明しえなくなっているのではないか。

にわかにサッカーファンとして「ニッポン」とコールした束の間の祝祭が過ぎ去り、拠り所の定まらない自分がいることに気が付いた。先日、友人でプロデューサーの堤章男氏からいただいたメールのなかに「夢から覚めた後この国とどう向合えばいいのだろうか」という一文がありドキリとした。悲観的ではないにしろ、すこし短絡的なことを承知で言えば気分としては僕もそんな感じだったからである。

グローバリズムが進むことは実はますますローカリズムとの拮抗をはらむことでもある。 自分たちのルーツを軸にしながら他者や他国と渡り合うこと以外にどんな方法を持ちうるのであろか。

さもなくば平成の鎖国か。

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