最初の勤め先を辞めて、スペインに行ったのは30年も前のことである。
昼夜問わず動き回る映画の現場に、なんだか居場所を見つけ出すことが出来ないまま、熱が冷めていく自分がもどかしくてしかたがなかった。
それは恋をしたその人を理想の人として勝手に作り上げた挙げ句に、恋に恋している自分の姿に気づいた時のそれに似ていた。
憧れとそれとは違うということを思い知った。
辞めて、ぼんやりとする時間はできたが、今度は何をするでもないまま時が過ぎてく恐怖が襲ってきた。
次を考えなければと思うものの、そうそう気の利いた案も方法も思い浮かばない。
無理矢理に始めたバイトもなんともつまらない。
読みたい漫画も観たい映画もほぼ読み、観た。
焦燥感と苛立ち。
こんな気分だった時、気まぐれに手にしたのが柏木博先生の勉強会で教本にしたデザイン史の本だった。
ぱらぱらとページを捲ると、印刷状態のあまり良くないモノクロームの建築写真を鉛筆の黒い線がぐるりと囲っている。
なぜ、しるしを付けたのか思い出せないが、写し出されている建物は地中からむくむくと沸き上がってきたようにも見えた。
この建造物こそ、建築家アントニオ・ガウディが設計施行した聖家族教会(EL TEMPLO EXPIATORIO DE LA SAGRADA FAMILIA)だ。
どうしても直にこの目で見たいと思った。
いまにして思えば、なんでもよかったのだろう。
ともかく現状から逃避したかったのだ。
直行便がなかったことと、チケットが安いという理由でローマからバルセロナへ双発の旅客機で行くことにした。
ジェット機に比べ、高度を低く飛ぶ双発機だったからか、眼下にひろがる地中海の蒼色があまりに濃く、まるで故郷の津軽海峡の冬色のようにも見えた。
わずか数十分の移動で、バルセロナ・エル・プラット国際空港に到着した。
宿も決めていなかったが、まずはサグラダファミリアへと向かった。
どこをどう走ったのか記憶は定かではないが、幾つかの角を曲がり、坂道の先にその姿が忽然と現れた。
秋の暮れなずむ黄昏時、夕日を背に建造物そのものが神々しいシルエットとして浮かび上がっていた。
1882年にフランシスコ・デ・ビヤールがネオ・ゴシック様式で建築に着手し、9年後の1891年からガウディが責任者として引き継ぎ、彼の没後も未だに建設中。
着工してからすでに120年以上経ち、完成に必要な年月はあと100年とも200年とも言われている。
ひと一人の生を全うする時間では完結しないものがある。
いまだに時々、焦燥感も苛立ちも頭をもたげることがある。
でも、それもこれも100年後にはどうでもいいことだらけだ。
時の流れの中に身を委ねる心地よさが、ほんの少しだけ分かりかけてきた。