アルビン・トフラー曰く、データは通常、状況から切り離された個別の項目だ、とされる。
例えば、「42.195キロを5時間30分で走る」ことも「21.0975キロを2時間30分で走る」ことも、データでしかない。
ところが、データとそれぞれを取り巻く状況とを組み合わせると、情報になる。
例えば、「この21.0975キロのコースには、アップダウンの厳しい箇所が2カ所ある」というのは情報である。
さらに、情報を組み合わせてもっと複雑で高度なパターンと関連づけたときに、知識と呼べるものになる。
例えば「この21.0975キロのアップダウンの厳しい箇所が2カ所あるコースで、昨夜通過した台風の影響もあり、折り返し点を過ぎた途端に向かい風が激しくなる可能性が高い」というのは情報に裏打ちされた知識である。
知識はそうした意味で、経験則によるところが大である。
これまで、10キロのレースには何度か出たことがある。
だから、どんな配分で走れば良いのか、ある程度見当はつく。
21.0975キロというのは未知の距離である。
未知の領域に分け入るには2つの力がいる。
意志の力と予測する力である。
さらに、もう1つのハードル。
このレースの制限時間は2時間30分。
つまり、10時30分にスタートし、13時までにゴールできなければタイムアウト、失格となる。
したがって、完走するためには、1キロを7分前後で走らなければならない。
走り出しはいつものことながらギクシャクとし、体も重い。
それでも後方からゆっくりと息とリズムを整え、最初の標識が見えるところまできた。
この3キロの地点から6キロの地点までのわずか3キロの距離を一気に25メートルの高さまで駆け上るのだ。
今回のコースで最大の難所である。
上り坂は比較的好きだ。
ゆっくりと立ち止まらず、1歩1歩確実に上っていく。
汗が吹き出る、そしてリズムもでてきた。
この坂道を上りきり、左に折れ、こんどは国道を一路、館山へと向かう。
国道に出た途端、道の両側には、おばあちゃんや子供、そして大勢の町の人たちが協賛する新聞社の旗を振りながら声援を掛けてくれる。
なんだか、気分はTVで見るマラソンランナーのようだ。
声援の声を浴びると、なぜか力が湧いてくる。
人の声にはきっと何かしら、不思議なパワーがあるのだろう。
給水所で水を飲み、しばらく走ると10キロ地点の標識が見えてきた。
ここまでのタイムは1時間18分。
1キロ走るのに7分を超えている。
このままではタイムオーバーになる。
市街地を過ぎ、気がつけば声援の声も途絶え人影もない。
いよいよ、ここから未知の領域へと分け入る。
焦燥と不安が脳裏を翳めた。
つづく