第221号『働くということ』

【時計】
【時計】

昨年暮れ12月28日の夜、なんとなく気になり、久しぶりに父へ電話した。
耳の遠い父と話すには電話が一番である。
いつもと変わらぬ津軽訛りの声に安堵した。
たわいもない話の後、少し間があり、父から低く決意を込めた言葉が漏れた。
「ついに、店を閉じる」と。
そして、続けて「矢つき、刀折れた」とも。
それは全力を尽くして戦った者の言葉に思えた。

20歳で出兵、終戦後、捕虜としてロシアに3年もの長きにわたり囚われの身となった。
復員後、時計修理職人の父は、故郷で小さな時計店を始めた。
いまとは違い、時計は高価なものであり修理するのが当たりまえの時代の話である。
以来60年余り、もくもくと仕事を続けた。

時計修理にとって、ゴミやほこりが一番の大敵である。
だから、毎日、朝5時に起き、店のシャッターを開け、掃き掃除と雑巾がけをし、仕事場の作業机に座りお客様をお迎えしていた。

僕は、その姿を見て育った。

最近、にわかにホワイトカラー・エグゼンプションなる働き方が取りざたされている。
サービス残業が増え、働くものにとって不利だという極めて表層的な報道と、参議院選挙を考慮したのか、この制度の中身についての議論が深まることもなく、労働基準改正案の提案があっさりと見送られた。

現状を見れば派遣、パート、転職など多様な働き方が当たり前になって久しいが、制度はそれに追付いてはいない。
それでも、日々の中で自分に課せられた仕事を全うしようと、皆、必死に頑張っている。

大半の人は自らの来し方と行く末を考え、仕事と自分の生き方を重ね合わせているところがあるのではないか。
それは、日本人の死生感に由来するのかも知れない。
だからなのか、「ハッピーリタイア」という言葉はどうにも好きになれない。

どんな働き方が良いのか、軽々に判断することなど出来ないが、限られた人生の時間の中で懸命になれる仕事が与えられたことを喜び、大切にしなければと、あらためて思う。

なぜか、その日、僕は父に「ありがとう、ご苦労様でした」
の一言もいえず、受話器を置いた。

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