有利か不利か、あるいは得か損かと考えて、有利や得な方を採ることを「決断」とは言わない。
それは、「判断」であって「決断」ではないからだ。
では、「決断」とはなにか。
有利か不利かも、得か損かも「判断」できないときに下すのが「決断」である。
なぜならば、「判断」することには常に悩むことを伴うが、「決断」することでは悩まない。
それは、「決断」にはいくら考えても正しい答えがないからである。
ただ、決めればいいだけである。
ただし、その決めたことには、釈明の余地のない結果と責任が伴うだけである。
会社を組織化してから、その比重や回数がグッと増したように思う。
だから、常日頃から、いかにしたら自分たちにとって有利か、得かをはっきりと意識し、自覚して行動するようになった。
「自分たちの利益のために動く」
当たり前のことではないかと言われそうであるが、会社を起こす以前にそのことをはっきりと意識し、行動していたかと問われれば否であった。
そこに頓着がなかった。
意識が違えば、行動も違ってくる。
例えば、自分の体重を意識している人と、そうでない人では、食行動もおのずと違ってくるのと似ている。
行動が違えば、結果も異なるものとなる。
ひとつひとつは小さな結果であっても、そのひとつひとつの積み重ねが、全体を決めるのだから総体としては、大きな違いとなる。
では、どうすればよいか。
常日頃から「決断」することを想定し、その力を鍛えるチャンスを逃さないよう、意識しながらものごとをながめるようにする。
つまり、自分のなかに目的意識を持つこと。
どうやら、「決断力」を養うにはそれがいちばん簡単、かつ効果的な方法のようである。