第258号『自立するということ』

【自立する石】
【自立する石】

今朝、ボクシングで反則を犯した親子の謝罪会見が新聞の一面を飾っていた。
うっすらとヒゲをたくわえた男が父親で、傍らで頭を下げている少年が恐らくボクサーなのだろう。
少年は怯えているようにも見えた。

父と子の希薄な関係、家族の絆の綻びがいわれて久しい。
こんな、時代の気分の中で、個々の個性と自立を促す強い父親と、それに懸命に応えようとする子供達。
この少年の兄弟と、父とのこの一家の強い絆が、ボクシングの枠を超えて注目された。
そして、練習方法、教育方針、試合運び、全てにおいて自分たちのやり方を貫いてきたことに、驚きと賞賛を集めた。

しかし、こうした文脈でメディアが仕組み、TVに映し出されたシーンとは真逆な、自立していない親と子の姿が露呈した。

子供が大人になるには思春期のある時期、一人、迷路を彷徨う時間が必要である。
少年と少女が子供時代に別れを告げ、大人へと鍛え上げなければならないとき、親は、特に父親は無視され、避けられる。
そして、葛藤を乗り越え、子は親離れをし、自分の生きる現実を掴み獲ることができるのだ。

そこで、親にできることは、ただただ子の変貌を見守るのみである。
しかし、やがて自立した大人同士としてのあらたな親子の絆を切り結ぶことができるのだ。

この、頭を垂れ怯えているかに見える少年が自立し、再びリングに上がることが実現したとき、世界チャンピオンに挑戦する本物のボクサーがひとり誕生するだろう。

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