第263号『矜持』

〈ゴール〉
〈ゴール〉

先日、今年最後のレースに出た。
1年に数回、10キロほどのレースを走る。
以前なら、ろくに練習もせずに走れた距離だが、いまはそんなわけにはいかない。
フルマラソンを走るほどのトレーニングではないが、それでも週3、4回、5から10キロの距離を歩いたり、走ったりする。
それが積もり、毎月100キロほどになる。
こんな具合に、走り始めてもう20年以上になる。

なぜ走るのか、と問われることがある。
楽しくて仕方が無いというのではない。
完走した時の達成感が良いのか、と言われたこともある。
それは勿論ある。
当然のことながら、ある程度の距離、負荷をかけて移動することはキツい。
出るべきマラソン大会を自分で選び、そのレースでの目標タイムを設定し、完走を目指す。

誰にかに、唆されたのでもなければ、脅迫されたのでもない。
全ては、自分が決めたことである。
だから、日々決めた目標に向かってトレーニングを重ねる。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
残念ながら僕は間違いなく、後者に属す。
どうにも、身体を通して実感したことでなければ腑に落ちない。
例えば、自由とは自らを由とすることだと言葉として得心したのも、体を通過したずっと後に気がついたことだった。

さて、僕はなぜ走るのかと自問自答した。
気晴らしでもなければ、誰かに勝つことでも、健康のためでもない。
走り終わった後、やれることはやった、というカタチにならない模糊とした気持ち。
つまり、僕の身体を通して「矜持」を持てたか否かを見極めたいのだ。

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