先日、母の三回忌で郷里に帰省した。
青森空港に降り立つと、空気が刺すように冷たい。
見れば、あちらこちらに残雪があり、3月下旬とはいえ、まだまだ春遠しである。
17歳で上京、すでに東京で生活している時間の方が遥かに長く、身体も寒さの記憶を無くしたようだ。
用事が済み、戻る日は辛い。
東京で働くということは、親と時間の隔たりを持つ。
何かあってもすぐには戻れないのだから。
いま、義妹に高齢な父の介護を委ねている。
後ろめたい気持ちと、元気でいて欲しいとの願いが、ない交ぜになる。
でも、その気持ちとは裏腹に、東京に戻ることの安堵も感じる。
これで、仕事場に戻れると言いながら、こころのどこかに、介護という面倒なことから退かれているだけのことではなのか、と自分に問う。
答えの出ない思いがグルグルと頭のなかを駆け巡る。
考えてみれば、いつのころからか津軽には「帰る」といい、郷里から東京へは「戻る」と言っている自分に気がついた。
同じ意味ではあるが、なんとなく「戻る」という言い方が、より生活の基盤を感じる。
青森—羽田空港間、1時間20分。
たそがれ時の羽田空港帰着が好きだ。
宵闇の羽田上空、着陸態勢がアナウンスされると、まもなく地上の誘導灯の明かりが見え始める。
東京。
ここが、いま僕の生きる街だとの思いが、ひしひしと湧いてくる。
そして「ここで踏ん張ることが、親孝行でもあるのだ」とつぶやいてみた。
お知らせです。
予定通り、本日お花見やりまーす。
皆様、ご参加ください。
本日、4月10日(金)「恒例!ファンサイト創立記念観桜会」を開催します。
場所:浜町公園(都営新宿線 浜町駅徒歩30秒)
時間:夕方より(川村は4時ころから場所を確保するため、桜の木の下で飲んでます。)
1件のフィードバック
川村様
ご無沙汰しております。いつぞやは大江戸線でばったりお会いして、今度新しいオフィスにお邪魔しますと申し上げておきながら、まだ実現できていないことに内心忸怩たる思いです。先週のファンサイト通信でお花見情報を知り、今回はぜひとも顔を出そうと思っていましたが、あいにく仕事が重なってしまい、せっかくの機会であるのに参加できなりそうです。ずぁんねーん!
オフィスが近づいたにも関わらず、お会いできる機会をまた逸してしまう格好になってしまいそうですが、毎週ファンサイト通信は欠かさず拝読しています(忘れた場合は翌週にダブルヘッダーとなることもあります)。
私の父親も実家近くの介護施設に入っているので、今回のファンサイト通信は自分に重ね合わせてジックリと読んでしまいました。クルマでをとばせば1時間ちょっとで会えるのですが、月に2回くらいしか顔を見せることができていません。実家の母と姉に任せっ放しにしていることに後ろめたさを感じています。いや、後ろめたさよりも、むしろ父に会えないことにダイレクトな寂しさを感じるようになりました。私が12歳の時から父が施設に入る間際まで父とは何かにつけ対立していて、お互いに決して譲ることがなかったのですが、父が施設に入る原因となる股関節骨折による入院の頃からは、なぜか無性に会いたいと感じるようになったのです。会えば会ったで取り立てて話をするワケでもありません。だけどこの年になって言うのも何ですが、父のそばにいると何故か安心するのです。何か絶対的なものに自分が守られているようで心地よくなるのです。まるで自分が赤ん坊になったみたい。今までに感じることのなかった変てこりんな感覚。父と息子の間に生じる奇妙な沈黙の中の温かい空気。これっていったい何っすかね。私ってどこかおかしいんすかね。まぁ、おかしくたっていいや。私は父の子だもの。当たり前のことですが、恥ずかしいことにそれを実感したのは最近です。
とりとめのないことを長々と書いてしまいました。来週も再来週もずっとファンサイト通信を読み続けます。本日はお花見、ハメやタガを外しっぱで楽しんでください。そして万一仕事が切れるという幸運に恵まれたら顔を出すかも知れません。では。