第426号『無常ということ』

【生きられたモノ】
【生きられたモノ】

連休中、遠方より訪ね来てくれた友と妻を連れ立って、近場の鎌倉をうろうろと徘徊した以外は、ほとんどアトリエで映画を観て、本を読んで、酒を酌み交わして終わった。

3.11以後、あまり映画も観ず、本も読む気分にもなれずにいた。
特に、ビジネス書や自己啓発本の類いが以前にも増して厭になった。
土崩瓦解。
なんだか、言葉が白々しく空しく見えるのだ。

なぜかは知らないが、記憶に刻まれ、いつまでも脳裏に残る言葉がある。
言葉というのは不思議なものである。
その時は、意味もわからずにいるのだが、何かのきっかけで繰り返し登場する言葉がある。
そうして、その言葉の意味を考えるともなく考えていると、次第にその意味が解る時がくる。
これは、齢を重ねることの良い点である。

例えば無常ということ。
北鎌倉の紫陽花寺で知られる明月院のお庭を眺めていた時、ふいに合点がいった。
この日は、雨模様のあまりパッとしないお天気だった。
いかにも散策には向かない、出来ればアトリエに帰り、酒でも飲んでいたい気分だった。
でも、押されるままに苔むした庭に入ると、ムラサキと白の小さな花が咲き乱れていた。
つい数時間前まで、鬱々とした心持ちだったのに、どうしたわけか、その花のいちいちに、心が洗われる気分になった。
その時、つくづく総ては無常なんだなと思えた。
無常とは、常が無い。
つまり、森羅万象、生ある限り同じ状態は続くことがないのだ。

過去をくよくよせず、未来を思い煩わず。
生きていること自体が無常なのだ。
だから私たちは、いま出来ることを1つ1つ、心を込めて行動するしかない。

お知らせ
4月19日NHKラジオ第1「あさいちビジネスウォッチビジネス編」にて、「ファンサイト」についてのお話がオンエアされました。
現在、番組HPにアップされています。
聞き漏らされた皆々様、ご清聴いただければ幸甚です。

1件のフィードバック

  1. 明月院、三年ぶりに、行きたくなりました。
    「齢を重ねることの良い点」どうしても、年齢を重ねることは、ネガティブになりがちですが、「無常」というワードに、ある意味、勇気が湧きました。

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