姪っ子の出産準備で、義妹と父が青森から上京した。
この日、姪夫婦の住まう2LDKに皆、集まった。
ふと、10年前もこれに似た情景があったことを思い出した。
ただし一点、違いがある。
それは、2001年7月12日、3年間の闘病生活の末、永眠した姪の父、つまり僕の弟が、此処にはいない。
弟は43歳の時、脳腫瘍に罹り、その手術の後遺症で半身麻痺。
歩行も、話すことも侭ならない状態であった。
そんな苦境でなお、家族と娘を一番に考える優しさと強さを持ち続けていた。
2001年の春、姪は早稲田大学に合格し、牛込柳町のアパートで一人暮らしをすることを決めた。
娘がこれから暮らす、その部屋を見たいと、無理を押して弟と彼の家族が上京した。
身体的に、厳しい状態であることは、容易に見て取れた。
これが最後の上京になることは薄々感じていたのかもしれない。
弟は、「足手纏いになるから上京しない」とは言わず、「娘の部屋を見たい」と言ってくれた。
苦境にあるとき、「こうしてくれたらうれしい」と言うことは愛と勇気のいることである。
人は自分のすることが、好きな人や愛する人の役に立っていると確信したい。
その存在だけで充分、誰かを幸せにすることが出来る。
それは、人間の根本的な可能性でもある。
あの日、娘の部屋を見回した後、唇が「あ・り・が・と・う」と微かに動いた。
そして、満足そうに頷いた弟の笑顔を、いまも忘れることができない。
自己を受け入れ、微笑む力。
僕は、弟の強さを羨ましく思った。
1件のフィードバック
先日戴いた『企業ファンサイト入門』を読み終え(遅ッ)
弟さんからの教えの中で、しっていることと、わかることとは違うという一文に大変共感したところでした。頭の中で解かるという事、身体と心が実感を持って解かるという事の差をカウンセリングを行う日々で私も痛切に感じています。
頭が勝手に自己洗脳という形で自己を押さえつけても身体から悲鳴となってシグナルが送られてくるものなんです・・・
10年ひと昔と言えど、世俗の早さからかほんの数日前のことに思えるのではないですか?でも親戚が集い時間の経過を皆で噛みしめ合える時間を持てることがとても素敵ですね。