読書が習慣になったのは、ファンサイト通信(週1回配信のメルマガ)を書き始
めてからのことである。
正直に言えば、それまでむしろ苦手な部類のものだった。
通信をはじめたころ、配信する度に随分とカッコをつけ、気張って書いた。
しかし、3ヶ月も過ぎると書くことに悩み始め、言葉に窮していた。
そんな時、紹介されて読んだ本が吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』だった。
いまや繰り返し読む、自分にとってとても大切な一冊である。
もちろん、この本の存在は知ってはいた。
ただ、道徳的で原理原則を押し付けるばかりの、教条主義的な本だろうと思い込み、
読むことを避けていた。
初版は1937年、軍国主義が勢力を強め、盧溝橋事件が勃発し、これ以後8年に及ぶ
戦争へと突入していった時期である。
解説「作品について」のなかで、吉野源三郎自身が語っている。
「今日の少年少女こそ次の時代を背負うべき大切な人たちである。(中略)偏狭な
国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとしても
つたえておかねばならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養ってお
かねばならない、ということでした。」
時代を反映しながらも、時代を超えた普遍的な意味があるものを古典と呼ぶならば、
『君たちはどう生きるか』はまさしく古典であり、且つ名著である。
読後、まず感じたことがある。
この本で、作者は(特にこの国の子供たちに)どうしても伝えなければならない、
その、切実さがあることに。
そして、ファンサイト通信を書くこととは、僕自身がどうしても伝えたことを、
カッコつけず素直に、そして切実な思いで書くことだと気付かされた。
あの本、この本と様々に読むのも楽しい読書体験である。
しかし、一冊の名著を繰り返し熟読することで、ぼんやりとしていた思いや意味が、
徐々に理解できる。
また、時にハッとするほど鮮やかに、腑に落ちる瞬間に出会うこともある。
「読書百遍義自(おのずか)ら見(あらわ)る」
再読は、自分自身との対話でもある。