いい風が吹く気持ちのいい場所を知っている。
先週末、新潟県巻町にある角田山妙光寺で行われた「フェステバル安穏」に今年もまたボランティアとして参加した。
この寺には、合祀墓「安穏廟」がある。
http://www.sogi.co.jp/annon/annon.htm
従来、墓は家、血縁に拠る。
しかし、生まれた子供たちが女子ばかりである、あるいは夫の家の墓には入りたくないと固持する妻たち、離婚し家に属す事の無くなった女たち、特に宗教や宗派を持 たない人たち・・・。
いま、墓には実に多様な事情が渦巻いている。
それにも係わらず、その事情を掬い取る仕組みも場所もこれまでなかった。
昨今、寺はその存在理由を問われながらも、打つ手も無いまま駐車場やアパート経営など、不動産まがいのことに明け暮れている。
角田山妙光寺の小川英爾住職は、本来、寺がもつの意味、たとえば人に癒しを与えることや供養を通し人の死と生を見守ることができないかと考えていた。
一方、市民運動としてこれからの葬送のありようを考えていた「エンディングセンター」(井上治代代表)http://www.endingcenter.com/
とのコラボレーションで生まれたのが跡継ぎを必要としない墓「安穏廟」なのである。
こうして毎年八月、全国から「安穏廟」のメンバーが集まり、血縁関係を超えて結び合う、「フェステバル安穏」が開催される。
法要が始まると、ぼくは本堂の後ろの柱に背を預けお経を聞く。
しばらくすると、お経は気持ちのいい子守唄のようにも聞こえてくる。
うたた寝をしていると、風が通り抜けていく。
なんて気持ちがいいんだ。
そういえば、この気分に似た経験をしたことがある。
突拍子もないのだがハワイで感じた風に似ていると思った。
波の音を聞き、椰子の木に背をもたれ、ウトウトとしている時に感じた風だ。
ハワイの風には人を生理的に気持ちよくしてくれる力がある。
気持ちいいということはそれだけでいいことなんだ、とも思う。
以前、小川住職に「角田山妙光寺はいつ伺っても気持ちのいいところですね。」と話したことがある。
その時の住職のことばが印象的だった。
「人にとって気持ちいいと感じることが宗教心なんだと思いますよ。」と
人を優しくさせ、癒してくれるパワーのある場所は確かに存在する。