第742号『断捨離の季節』

【夏花】

断捨離に似合う季節があるとすれば、思い出を断ち切る夏の終わりがいい。

そもそも、なぜモノが捨てられないのか?
その理由は、満たされた気分と連動しているからではないか。

満足感とは、目に見えるモノではなく、そこに隠されたストーリーのことである。
自分だけの意味や物語が内在しているからこそ、どんな高価なモノよりも価値が
ある(ように思える)。
だから、あんなこともこんなこともあったけど、それを1つ1つ乗り越えてきた
と、思いだせるストーリー(思い出が)があればあるほど、愛しく(満たされた
気分)なる。

ところが、この物語に満たされてると、困ったことも起こる。

欲しいと思っても、なかなかつぎの新しいモノや、新たな自分の目指す姿が見え
てこない。

その原因は、捨てないからだ。
むしろ、それを必死に抱えているから新たに入りこむ余地がない。

例えば、思い切って捨ててみる。 
もはや使わないのに、いつまでも置いているその古い企画書や本やCDや洋服。
かつて、救われたことのある考え方や音やスタイルを。

例えば、しがらみを断ち切り捨ててみる。 
義理でやってるその仕事や作業を。
やらないと、嫌われる、恥をかきたくない、そんなカッコ悪いことはできないと
いう、意味もないニセモノのプライドごと。

例えば、自省的に捨ててみる。 
食事の前に、その腹の脂肪を燃やす。
さすれば空腹こそ、最大のご馳走になる。

過去は未来ではない。
にも関わらず、過去の結果に拘泥し、それがそのまま、未来の結果につながると
錯覚する。
たしかに、過去は未来の予兆をはらんではいるが、あらゆる変化の要因を含んだ
ものでもある。

では、新しいモノや自分に出会うためにはどうすればいいのか。

それは、認めてくれと媚びる前に、まずは自分が自分のこと認めること。
それは取りも直さず「過去にそれをやった自分」ではなく、「何もない自分」の
ことを。

そのために、夏の終わりまでには捨てるのだ。