【観覧車】
ある行為と、もう一つの行為が分かちがたく結びついていて、無意識のうちにそれが行
われることを習慣という。
つまり習慣とは、日常の別名のことである。
例えばこんなふうに。
朝、6時には起き、トイレで用を済ませ、顔を洗い、着替える。
アトリエの掃除をし、それからゆっくりとストレッチをする。
まずは下肢から、足首・脹脛と伸ばす。
続いて、太腿から股下にかけ十分に開脚する。
つぎに、腕を伸ばし水泳の蹴伸びのような体勢で左右それぞれ、ゆっくりと曲げ伸ばす。
最後は、首を左右上下に伸ばし、しずかに回転させ、深呼吸をしてストレッチを終える。
そして、2杯分のコーヒーを淹れ、ラジオ(湘南ビーチFM)のスイッチをオンにし、音
楽を流しながら今日一日の仕事の予定を専用のノートに書き出す。
心がけていることがある。
スケジュール帳の予定をあまり埋め込まないこと。
午前にやるべき仕事はせいぜい1つか2つに。
企画や原稿を書くなど、自分との会話(内省する)作業を中心にしている。
そして、午後も2つか、多くて3つ。
人との打ち合わせなど、(他者と)会話することを中心に多くの時間を充てる。
元来、気遣いも足らず器用でもない。
それにも関わらず、打ち合わせや食事会などの予定をスケジュール帳に詰め込み、そうし
ていることで(手帳の余白が埋まっていることが)、あたかも(次々に仕事をこなす)自
分の有能性の証のように誤解して、仕事をしていた時期があった。
すると、気分の悪い変化が起きた。
打ち合わせ相手のしていることや、考えていることが、恐ろしくスローモーションでまど
ろっこしく感じてくる。
そして、(仕事をする上で)機能として有能かどうかが気になりはじめる。
こうして、次第に効率のよさばかりに目が行き、なんのために仲間としてプロジェクトを
組んだのかがぼやけてしまい、随分と味気のない、(自分自身に対して)白白とした気分
に襲われた。
仕事を持つということは、他者について想いを巡らす道筋を持つということであり、その
道筋があるから、たとえ横道にそれたとしても、バラバラにならず、なんとかゴールを目
指して進めていくことができるのだ。
だから、肝要なことは仕事をする仲間との想いを共有すること。
そのために、どんなことをすればいいのかと、毎回、ミーティングでの想定問答を頭の中
に準備してみる。
つまり、手間と時間が掛かる。
そして、あれもこれもと出来ないことに気がついた。
多くのことは出来ない、そう覚悟を決めてやればいいだけのことである。
今朝、スケジュール帳に今日の予定を記した。
午前に1つ、午後に3つ、そして、夜は横浜関内の蕎麦屋で酒を飲むと。