第796号『父の気分』

【仕事場の植物たち】

自宅を、住まい兼仕事場として使っている。

夜は、経理書類や食事から服の整理まで、細々とした片付
けは妻がしてくれている。
そして朝、仕事場の掃除は僕の分担である。
掃除・洗濯のたぐいは、それほど苦にならない。
おそらく、時計修理の職人(ほんの数十年前まで、時計は
修理して使うもの)だった父(亡父の誕生月が10月。今回
のファンサイト通信では父との思い出を書いてみたい)の
影響だろう。

朝一番、仕事場と店の掃除をすることが父の日課だった。
まずは、はたきをかけ、箒で掃く。
そして、仕上げはザブザブと雑巾を洗い絞り、床を拭く。
それこそ、秋も深まるこの時分バケツに入ったお湯からも
うもうと湯気が立った。

1時間もかけて掃除をするものだから、着ているシャツが
びっしょりと汗でぬれる。
僕も小さい頃、そんな父の足手まといになりながら掃除の
手伝い(小遣い欲しさに)をした。

ある時、何故そんなにまで(誇大表現ではなく、柱も床も
ピカピカになるまで)丁寧に掃除をするのかと訪ねたこと
がある。
父は、当たり前だろうという表情で答えてくれた。
「もし万が一、時計の部品(ネジやバネ等)が床に落ちて
も、すぐにわかるようにするためだよ」と。

僕は「ふーん」と、わかったようなわからないような曖昧
な返事をした。
ただ、父の声がとても明るく朗らかなものに感じた。
(父は終戦直後、満州でソ連の捕虜となり、3年もの長き
にわたりシベリアの地で強制労働をさせられていた。捕虜
から開放され、いまこうして好きな仕事ができていること
に大きな喜びを感じていたのだろう)
「ふーん」と曖昧な返事をしながらも、なんだか清々しい
気分で聴くことができた。

まちがいなく明るい言葉には、明るい言葉の振動がある。
そして、明るい言葉は耳の鼓動を明るく震わせる。
その時、幼い僕とって理解できないことだったが、なんだ
か嬉しい気分になった。

でも、いまならあの時の(全力で掃除をする)姿と、朗ら
かで明るい言葉を返してくれた父の気分を、僕なりに理解
することができる。

それは、思想でも宗教的な道徳心でもなく、ただただ自分
に与えられた仕事を全うすることに全力を傾けていた父の
気分を。