第813号『思い出したこと』

【花椿】

内田裕也さんが亡くなり、ふいに思い出した。

友人のカメラマン本橋松二と、青山にあったフルーツ
(アップルだかアプリコットだかピーチだったか思い
出せない)の名前のついた店でバーボンを飲んでいた
時のことだ。

あのころ、本橋と会うと、まるで決闘での勝負をして
いるかのごとく、ジャック・ダニエルを飲んでいた。

本橋とは仕事で出会った。
僕は28歳で、冬が終わり、もうすぐ桜が咲きそうな季
節だった。
当時、資生堂の「美・ミセス」という季刊誌の表紙の
ディレクションをしていた。

「美・ミセス」は「花椿」とともに、資生堂の商品を
販売している店の店頭に並ぶPR誌だ。
「花椿」が若い層に向けたものであるとすれば、「美
・ミセス」はタイトルの通り、(対照がベネフィーク
という商品がメインだったと記憶している)ミセスを
想定した冊子だ。

そもそも、なぜこんな素敵な仕事をすることができた
のか。

実は、この仕事、従兄弟の工藤哲から、「コンペだけ
ど参加してみないか」と、声をかけられた。
工藤は、主婦と生活社の月刊誌の副編集長として、資
生堂からこの冊子「美・ミセス」の業務を(外注先と
して)委託されていた。
中身の記事やデザイン・レイアウトは順調に進んでい
たが、表紙だけがなかなか決まらない。
そこで、何人かに声を掛けた。
そして、幸運にも僕が出した案が通った。

恵比寿にあるスタジオで、撮影することになった。
ところが、予定していたカメラマンが急病になり、代
役として探し、(たしかスタイリストの小谷野晴美か
らの紹介だった)出会ったのが本橋だ。

気難しそうな男。
それが、彼の第一印象だった。
はたして、仕事をはじめると、繰り出してくるアイデ
アや、表現が素晴らしい。
僕は、すかっかり彼の仕事ぶりが気に入った。
こうして、春・夏・秋・冬と冊子の表紙を作った。

仕事の合間に本橋とは、よく飲みに行った。
冒頭のフルーツの名前の付いた店へも、そんな感じで
(ジャック・ダニエル)を飲みに行った。
カウンターに座り(店はガランと空いていて、本橋と
僕しかいなかった)飲んでいたら、ふらりと二人の男
が入ってきた。

一人は、眼光鋭く長身で痩せた男。
そして、もう一人。
身体的にはさほど大きくはないが、全身から得体の知
れないオーラを感じた。

目が合った。
ニヤリとし、軽く会釈をした。

眼光鋭い長身の男は、松田優作さん。
そして、もう一人は、内田裕也さんだった。

ただ、それだけのことを思い出した。