第896号『ことだま』

【紡ぐ造形物】

蒲田にある専門学校、日本工学院デザイン科の非常勤講師をしている。
先日火曜日、今季の授業が終了した。
ずいぶんと長いこと、ここで教鞭を執っている。

思い返してみれば、学卒後憧れて就職した映画製作配給会社日活で挫折し、わずか2年で退社。
そして、次に職を得たのが、日本工学院専門学校芸術学部映像・デザイン・美術科の専任教師。
1977年4月、25歳のときだった。
ここで14年間専任として働き、39歳で転職。
広告制作会社を経て、今の仕事につながる道を歩き始めた。

工学院を辞めた後も週に1回、非常勤講師として教壇に立つ機会をいただき、今日に至るまで教えることを続けている。
自分の仕事と教えることと、その重圧と責任で潰れてしまいそうになったこともあった。
もちろん、苦しいだけではなく楽しいことも数々あった。
細々とではあるが継続できたことは、いまとなっては奇跡的な出来事のような気もする。

この間、2002年に起業した。
これから企業はファンに目を向け、ファンとのコミュニケーションをとる方向へ舵を切る必要があると、説いた。
そして、今年創業20周年目を迎えるが、徐々にではあるがファンとのコミュニケーションが大切だということは浸透してはきたが、現在の状況は大成功したというわけでもない。
そして、本も書いた。
2006年、日刊工業新聞社から『企業ファンサイト入門』を上梓したが、いまほどファンマーケティングという考え方が定着していたわけでもなく、結果として売れたわけでもない。

ここまでのところ、輝かし業績を残したわけでもないし事業で大成功したわけでもない。
しかし、この長年に渡る継続は、確実に自分を変えてくれたと確信している。

若い頃を振り返れば、ずいぶんと乱暴で無茶なことばかりしてきた。
しかし、こうしていま、曲がりなりにも経営者になり大切なクライアントと巡り会え、社員を抱え、さらに幸運なことに、学校で若い学生にこれまで得てきた知識や経験を伝えることもしている。

この立場にいることは、相手の話をきちんと聞き、共感し提案しなければならない。
また、学生や社員に信頼してもらうためには、丁寧に細かく気持ちを汲み取る感性が必要だ。

仕事はすごい力を持つものだ。
わがままで自分勝手な若輩者の僕を、大人に変えてくれた。
なんでもない日々の細々とした事柄を一所懸命続けたことで、それまでのなまくらな自分が変われたのだと思う。

指針にしている言葉がある。
坂村真民氏の「鈍刀を磨く」という詩である。

鈍刀を磨く  坂村真民

鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ

鈍刀というのは切れ味のよくない刀である。
研いでも光らない。
みんなは研いでも無駄だというが、そんな言葉に耳を借さなくていい。
せっせと磨いても刀は光らないが、磨く本人が光ってくる。
才能がないからなどと言わずに細々でも続ける。

大切にしている「ことだま」である。