第976号『12月1日は映画の日』

12月1日は映画の日。エジソンが発明したキネトスコープ(映画の上映装置)が、126年前の1896年(明治29年)12月1日、初めて神戸に輸入され上映された事から “映画産業の発祥”を記念する日『映画の日』として定められたという。

年間、100本の映画を観ることを目標として掲げているが、毎年なかなか達成には至らない。ちなみに、今年観た本数はいまのところ目標の半分にも充たない42本。そんな中でも特に印象に残っている作品としては、天才ポール・トーマス・アンダーソン監督の『リコリス・ピザ』、役者とシナリオが秀逸なバズ・ラーマン監督『エルビス』、インド映画界のトップランナーS・S・ラージャマウリ監督『RRR』、そしてプロデューサーとしてではなく、初監督作品として第70回サン・セバスティアン国際映画祭にて最優秀監督賞を日本人として初受賞した川村元気監督『百花』など。

余談だが、はじめて倅の元気を連れて観た映画が、スティーヴン・スピルバーグ監督の『E・T』だった。場所は馬車道にあった横浜東宝会館。街はクリスマスのイルミネーションに包まれ、なんだかウキウキした気分で出かけたことを記憶している。『E・T』の日本での公開記録を見ると1982年12月とあるから、多分間違いないと思う。彼が3歳と9ヶ月のころだ。隣に座り、終始僕の手を握り、そして目を凝らして観た『E・T』。初めて体験した映画空間をどんな想いで受け止めたのだろう。機会があれば彼に訪ねてみたいが、その時のことを覚えているだろうか?

映画の鑑賞方法にルールなどない。ただあえて言えば、僕は監督にこだわる。だから、好きになった監督作品は、過去にさかのぼってほぼ全作品を観るように心がけている。

学生時代、今のようにNetflixもなければ、DVDで簡単に観ることもできなかった。その代わりに、新宿、渋谷、池袋といった繁華街ばかりではなく、大塚、蒲田、大井町などのいわゆる場末(70年代80年代の頃はそんな雰囲気があった)の単館系のマニアックな劇場では、ありがたいことに「監督特集週間」という興行スタイルで上映されていた。こうした映画館で、好きな監督の作品を手当たり次第片っ端から観ることができた。ジャン=リュック・ゴダールと大島渚は新宿で、黒澤明とルキノ・ヴィスコンティは渋谷で、ロバート・アルドリッチは大森で、川島雄三は千石で観た。ところがフェデリコ・フェリーニだけは、なぜか見逃していた。

最も好きな監督のひとりフェリーニの『道』との初めて出会いは、近所のレンタルビデオ店でだった。誰からのリコメンドなのか忘れたが、いまだに観ていないことを酒の席で失笑され、憮然とした面持ちで借りたことを覚えている。自宅に帰り、VHSのデッキに差し込み観た。すると、字幕はなぜか韓国のハングル語、音声はイタリア語。数分あれこれいじくりまわしてみたが、まったくお手上げ状態。明日にでも取り替えてもらおうと思っていたが、映像が流れるままに見るともなく見ていた。そうこうしながら、しばらく観ているうちになんとなく(もちろん、韓国語もイタリア語も知らないのだが)分かるのだ。役者の表情や身振り、場面の雰囲気や展開などで・・・。そして、ニーノ・ロータの音楽が説得力を加味してくれる。後で、再度レンタルし日本語の字幕で確認したが、凡そのところは理解できていた。

映画『道』には、純粋さと野卑さ・柔順と傲慢・聖と俗・・・、その対比が女と男を通して描かれている。そして、その果に訪れる愚かな結末と後悔の念。ラストシーンで、ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の死を知り、浜辺を彷徨うザンパノ(アンソニー・クイン)の姿に、涙が止まらなかった。この映画で好きなシーンはいくつもある。中でも、特に好きな場面がある。ザンパノと共に旅のサーカス一座で働いていた時のこと。ジェルソミーナが「自分は何の役にもたたない人間だ」と泣きながら語る。それを静かに聞くのは、密かに彼女を愛する綱渡りの芸人、イルマット(リチャード・ベイスハート)。彼は、地面に落ちている小石を拾い上げながら「この世の中にあるものは何かの役に立つんだ」と言い、去っていく。

映画「道」は、誰の心にも響く根源的な何かがある。「甘い生活」(’59)・「8 1/2」(’63)・「アマルコルド」(’73))・「カサノバ」(’76)・「そして船は行く」(’83)「道」以降、唯一無二の映像世界を構築したフェリーニの作品群を観てきた。その中にあって「道」は、いまも僕にとって特別な輝きを放つ作品である。

映画の日、久々に『道』を観ようと思う。

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