第980号『えッという報告から』

新しい年を迎え最初のファンサイト通信である。新年のご挨拶が、えッという報告から始めることになるとは・・・。
事の次第である。年が明け1月2日は僕の誕生日。71歳になった。新年会と誕生日会を兼ね、長男家族と次男家族が集まった。お雑煮とおせちを食べ、少し体を動かそうと、倅や孫たちと近所の公園でバレーボールのまねごとをして遊んでいた。そして、ボールを追いかけようとした瞬間、背後から一撃をくらったようにバチンと音がし、膝からくずれ落ちた。立ち上がろうとしたが左足首がふにゃふにゃして力が入らない。何が起こったのかも分からず呆然とした。

その場にいた長男が、休日診療をしている病院(隣接してはいるが少し距離がある隣の横浜磯子区)を探し、車で移動。そして急遽受診。外科医の問診後、レントゲンを撮り「アキレス腱断裂」と診断された。あまりにあっさりと言われので、「そうですか」とうなずくよりなかった。左足から腿まで簡易的にギブスで覆われた。痛みはそれほどなかったのは幸いだったが、家族に心配をかけ申し訳ない気分でいっぱいだった。松葉杖をレンタルして自宅に戻ると、みんな心配し待っていてくれ、新年会と誕生パーティの続きをすることができた。

翌日1月3日、目が覚めると左足がギブスと包帯で覆われている。昨日の出来事は夢ではなかったのだ。あらためて意気消沈した。振り返ってみれば、昨年5月に脊柱管狭窄症になり3ヶ月間のリハビリを経て10月のレースに復帰することができた。そして、今年5月の世界トライアスロンシリーズ横浜大会に出るべく、エントリーも終え、これからトレーニングを重ねていこうとしていた矢先だった。組み立てていたすべてのスケジュールが崩れ落ちた。

さらに正月休みの後、クライアントとの大切な打ち合わせや、事務作業でお会いする予定も詰まっている。しかし、松葉杖と片足1本で、公共交通機関を使って移動することは肉体的にも精神的にもかなり大変だ。加えて、ネットで「アキレス腱断裂 /完治」と調べると、5ヶ月から6ヶ月はかかるとか、後遺症の可能性もあるとの記事もあり、先のことを考えると気分が滅入るばかりだ。

なんでこんな事態になったのか。孫にいいところを見せたいと、自分の歳も考えず虚栄心が勝っての行動だったのか。いや、そもそも準備体操もせずにやったことが間違いだったのでは、などと自分を責めるネガティブな言葉が次から次へと湧いてくる。

1月4日の朝、宅配便が届いた。箱を開けてみるとギブス用の靴下や靴、シャワーを浴びる時に足全体を覆うビニール製カバーなどが入っている。全て妻が選んで取り寄せてくれたものだ。傍らの妻から「成ってしまったことをしょげていても治らないのだから、ともかく治療に専念しよう」と、言葉をかけられた。ハッとさせられた。まさしく、その通りだと思った。

先々、何が起きるかなんて誰にも予想することはできない。誰がコロナが世界中に蔓延することを予想しえたか。誰が(あたかも自らを神的存在と勘違いしたプーチン以外)ウクライナでの戦争を予想しえたか。そして僕自身、年明け早々アキレス腱断裂を予想しえたか・・・。何が起きるかは偶然(運)であり、時を選ばずそれは突然に起こるのだ。

そしてダーウィンは言った。「人間はそれに対して適応することしかできない」つまり、「生き残るのは変化に最も適応したものだ」と。

早速、具体的な行動リストを作り動いた。

・主治医を決めるために、横浜トライアスロン研究所の滝川コーチと、みた整骨院院長の三田先生に意見を聞く。主治医が決まったらなるべくはやく予約し受診してもらう。・週明けに予定しているアポイント全てにお詫びのメールを出し、リスケをお願いする。早速、具体的な行動リストを作り、こんな具合に優先順位を決めた。

1月5日、横浜トライアスロン研究所の滝川コーチと、みた整骨院院長の三田先生の共通の意見として、主治医はスポーツに詳しい専門医がベストだ。だから、迷うことなく昨年脊柱管狭窄症でお世話になった、大船にある岩田整形クリニックの岩田院長にお願いすることにした。

1月6日、岩田院長に診たててもらい、その結果10日以降に湘南鎌倉総合病院で手術することになった。

アキレス腱断裂の日からの1週間を、今号のファンサイト通信で書いてみた。手術のこと、そしてその後のことなどについては次回以降にお伝えしたい。

10件のフィードバック

  1. えッ、という報告でした。
    確かに残念ですが、悔いても始まらない。起きたことに対処するということは、何に対してもそうなのでしょうね。快復を祈ります。

    1. 南谷くん、ありがとう。今は治療に専念します。必ず復活します!

  2. 何とお返事をしたら良いかわかりません。私も20年ほど前に、やっちゃいました。背後からしないか、木刀で引っ叩かれかの方おも、そんな一撃でした。振り向いても、そこには誰もおらず。自体を飲み込むのに数分かかりました。

    お大事に  ホビークッキング 木村良

    1. 木村さん、ありがとうございます。木村さんも経験者でしかた。ともあれ治療に専念します。

  3. ブログ拝見しました。アキレス腱の負傷、お見舞い申し上げます。
    清々しいお気持ちで年始をお迎えになられたでしょうに。
    でも、さちよさんのお言葉どおりここは焦らず目の前のことを一つずつ片付けていくのが穏当のように思います。

    私自身も現在入院中です。
    以前より頸部脊柱管狭窄症と診断され、長年手脚の痺れに悩まされてきたのですが、先のことを考えてこのタイミングで手術を受けることに決めました。
    襟足から頸椎に沿って縦に10センチほどメスを入れました。
    一昨日が手術日で、さあこれからリハビリ開始というタイミングです。
    あまりの痛みの強さに悲観してしまいそうになることもありますが、未来にやってくるであろう楽しみに一つずつ想像を巡らせながらモティベーションを保っています。

    思い通りにならないことが人生にはつきものですね。
    しかしながら、そのことが肥やしになり、人生を豊かなものにしてくれているようにも感じます。
    手術はこれからでしょうか。
    くれぐれもご無理をなさらず、慎重に快復の道をお進みください。

    追伸 近況報告ですが、俳優になることを夢見て昨年4月より俳優の養成所に通うようになりました。会社の仕事は今まで通りです。俳優という仕事の奥深さに惹かれて日々奮闘が続いています。

    1. 加藤さん、ありがとうございます。加藤さんも手術の痛みの最中でしかた。
      昨晩は僕も痛みで呻いていました。ともあれ今はお互い治療に専念しましょう。

  4. ありがとうございます。
    今の痛みは、後々振り返って笑い話になる時が来ますね。

    1. 僕もまだまだ痛みが続いていますが、いずれ笑い話になりますよ。お互い残りの人生、悔いなく生きましょう。

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