第994号『書けないときには』

個人発信のブログ、『ファンサイト通信』をほぼ毎週配信している。そして、今回が994回目。毎回、自分の心の声をキャッチしようと頭の片隅に小さなアンテナを立て、言葉を紡ぎ出している。

たかだか個人ブログの域をでないものであっても、するりと書きたいことが出てくるわけでもない。まして、文章を書くことに集中することも容易ではない。こんな時のために、『ファンサイト通信』を予め書き溜めて置いたことがあった。しかし、書き溜めたテキストを読み返してみて、どうにも鮮度が悪くアップする気分にはなれなかった。結局、うんうん言いながら言葉を生み出すよりないと覚悟を決めた。

聞くところによれば、プロの書き手には自分なりの書き出しに集中するための儀式(とでも言うようなもの)を持っている人が多いという。

例えば、吉村昭(僕は「漂流」が好きだ)は、部屋中を徹底的に掃除するところから始めるという。例えば、中島らも(やはり「ガラダの豚」が1番好き。らもは本物の天才だと思った)に至っては、机の引き出しの中にバーボン一本入れておき、書き始める前にラッパ飲みしたという。

さすがに中島らもを見習うことはできないが、宇野千代の遣り方なら、なんとか真似ることが出来そうだ。宇野千代は文章を書くときの心がけを、次のように記している。励まされ背中を押してくれた文章である。

”毎日書くのだ。書けるときに書き、書けないときに休むというのではない。書けない、と思うときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思った筈なのに、ほんの少し、行く手が見えるような気がするから不思議である。書くことが大切なのではない。机の前に坐ることが大切なのである。机の前に坐って、ペンを握り、さァ書く、という姿勢をとることが大切なのである。自分をだますことだ。自分は書ける、と思うことだ。”

ブレない心の佇まいを感じる。さて、僕の書き出し方の儀式である。いつも、小説やエッセイを読んでいて心を動かされたり、表現が気になり線を引いたりしたものの中から、さらに気になったフレーズを専用のノートに書き写している。このノートをパラパラとめくり、気になったところを読み返しているうちに、なんとなく、書きたいことが浮かび上がってくるのだ。

最後に、宇野千代の言葉をもうひとつ。”何事をするのにも、それをするのが好き、という振りをすることである。それは、単なるまねでもよい。すると、この世の中に、嫌いなことも、また嫌いな人もなくなる。このことは、決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。”

さて、今回も書き写しノートを開いてみるか。

【お知らせです】
いよいよ来週からGWに突入しますが、ファンサイト通信も4月28日(金)5月5日(金)の2回、お休みさせていただきます。次号開始は、5月12日(金)からの配信予定です。引き続きご高覧のほど、よろしくお願いします。

1件のフィードバック

  1. 書くこと、思うことは山ほどあり、さあいまからでも書きたいのだが書けない。雑事が次から次へとあり、それらも追いやられていく。ひとつずつ始めていけばよい、とわかってはいるが...こうして、明日には気持入れ替えて取りかかりたいのに書けない。確かにある儀式が確かに必要だ。
    まず机の周辺だけでもきれいにしはじめてみる...

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