第17回 おやじ

灯り
灯り

最近、父親と話す機会が多く、自分も父親であるということを再認識するのです。
父親というのは面白い存在で、子供の頃、母親に比べて必要性を感じませんでした。
父には非常に失礼な言い方かもしれませんが、わが息子達を見てもそれは感じるのです。
もともと争い事や意見の対立が殆どない家庭なのですが、
何かにつけ母親の味方につく彼らを見ると、自分が幼かった頃のことを思い出すのです。

大学の教壇に立っていた父は、学生とともに夏休みも冬休みも春休みもありました。
学会で海外出張する以外はほとんどの時間を家で過ごしていたように覚えております。
だから、僕は「おやじの背中」を見て成長した記憶がありません。
父と接する機会が、おそらく他の家庭より多く、常に父がこちらを向いていてくれたので、
背中を見る機会が少なかったのです。

いろいろと教わりました。
教科書に書いてあることは、ほぼ全て。書いていないような試験に出ないようなことまで。
学者気質からなのか、原理の最初から教えるその内容は、子供には大変難しく、
ただ、のちに、基礎からひとつずつ積み上げていく、その思考プロセスは、
物事を見聞きして決断することに、非常に役立つのでした。

思春期をむかえ、家庭より友人たちと接する機会が多くなり、
父と会話する機会も極めて少なくなりました。
やがて、父と異なる道を選択した僕は、実社会でサバイブすることに執心しました。
「切った張った」で切り抜けることもあり、自分の思い通りにいかないこともあり、
「教科書には何も書いていない。諸先輩方の言うことはアテにならない。」と、
年配者の声に全く耳を傾けなかったのでした。父についても同様です。

いま僕は、
戦後の社会を生きてきた先輩方のコトバを聞くのが好きです。
分野がどうであれ、その方々の歩んできた歴史を聞くのが楽しいのです。

貧しかったがゆえの豊かさとでも表現すればよいのでしょうか。
労働中心から消費中心へと変化していった時代、
物質的には豊かでなくても心が豊かだった時代を生きてきた方々、
彼ら彼女たちが、何を考え、どのような問題に対峙し、家庭や社会、国家をつくってきたか、
そのような話を聞くのが楽しいのです。
24時間365日、何でも手に入り、目まぐるしい速さと大量の情報処理社会で、
急かされている僕たちが学ぶべきことが、そこにあるような気がしています。

昭和の一人親方たちは、地方から従業員たちを次男坊・三男坊として受け入れました。
親御さんに「お預かりします。」と言って、家族として住み込みの方々に接したそうです。
経営者がしばしば「おやじ」と形容されたのは、このような事情のためで、
従業員たちは、おやじが注いだ愛情に答えるべく、労働者として成長していったそうです。
様々な外的な環境変化の中でも変わらずに持続できる、人間が本来持つ「情」が、
まさに経営資源で、みんなで、笑って苦境をも乗り越えられたそうなのです。

経済成長がまだまだ止まっていないと、エコノミストが論じていますが、
明らかな縮小均衡のこの時代、どのように生き抜いていくのか、
もう少し、おやじと話す必要がありそうです。

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