第19回 学校へ行こう

校庭
校庭

バックパックにバスケットボールだけ入れて、スケートボードで登校し、
全面ターフの広大な校庭と金髪のガールフレンドが待っていれば、
さぞかし、スクールライフは楽しいでしょう。

僕が小学校に通っていた頃、もう30年も前のことですが、
学校で教わったことで印象に残るのは、掛け算九九と歴史年表の暗記です。
「社会のどういう階層のどういう家の子でも、
ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、
博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。」とは「坂の上の雲」の冒頭ですが、
明治初年の頃と僕たちの幼少期とたいして違いのないように思えます。

テキストを暗記して根気よく塾に通い、良い学校に合格し卒業すれば、
安定した将来が保障されているという、なんとなくの雰囲気。
人生は概ねこのようなことなのだと、子供心になんとなく理解していました。

やるべきことを叩き込まれ、どのような道に進むべきなのかを教わったり、
人生のレールをひいてもらうこと自体、悪いこととは思いませんが、
戦後70年をむかえ、だいぶ国民も豊かになり、価値観も多様化する中で、
子供の頃に教わった常識がそうでなくなってきていたり、
社会全体の雰囲気が変わってきたり、様々な変化があります。
実際に今の時代、安定した将来の保障などどこにもありません。
僕たちは、その感じられる変化を、ときに自分のことを棚にあげてでも。
次の世代に伝えていく必要があるのです。

このような社会構造やモラルの変化の中で生きていくうえで大切なのは、
「自律」だと思っています。それもなるべく早い時期の。
どのような時代でもそうなのかもしれません。
あえて自戒の念もこめて申し上げれば、人生はこれにつきます。
自らを律し、常に自分自身に問いかけ、どのように歩んでいくかを考えること。
自らの道を自分で選び、日々の生活の中で何が大切なのか何を優先すべきか
誰に指図されるわけでもなく、周囲にも流されず自分で判断し行動していくこと。

一流のアスリートが凄いのは、幼少期からこれができていて、
しかも持続させているからに他なりません。
10代になる頃には、常に選択を迫られ、自身の心の叫びと葛藤し、決断していくのです。
そして、それを続け、ついにはアスリート人生の最期までも自ら決めていきます。
ビジネスアスリートにとっても同様でしょう。
早い時期から、自我に目覚め、自身のココロとカラダを鍛え、自分で選択し決断し、
失敗と成功の中から、次の自分を見つけていくことこそが肝要で、
レールなどひかれていない自身の道やスタイルを自ら見つけていくべきなのです。

子供たちには、「やりたいことをやる」ことを勧めています。
やるべきことを教えるのも必要でしょうが、「やりたいこと」を見つけてほしいのです。
自律のための第一歩が「やりたいこと」(=欲求)だと考えているからです。
欲求を満たすために、自制したり、周囲に気を配ったり、礼節をわきまえたり。
それこそがまさに自律なのではないでしょうか。

だから、「スクールライフが楽しい。」という便りは、励みになります。
やりたいことをやっている証です。
朝起きて「学校へ行こう」と自分で思っているのです。

いずれ
「登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を登って」ほしいものです。

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