三寒四温。
春の訪れはまだなのかと、帰国した日本の寒さに驚きながらも、
限られた時間で、精力的に友人に会ったり地方都市の企業さまを訪問したりと、
あえて、地に足をつけずに、色々省みず行動した数週間でした。
そもそもこの三寒四温という言葉の本来的な意味は、
3日間寒い日が続くと4日間暖かい日が続くという、日本の冬の気象を表した言葉で、
よく春先に使うような、もうすぐ春というようなニュアンスとは異なるそうです。
自国のコトバでさえ、あまり理解していないで使っているのですね。
この数週間のように、普段、物事をあまり考えないで行動しているので、
10時間を超えるフライトや乗換待ちは、僕にとっては最高の反省の機会です。
自分の行動を振り返ったり、メールボックスを整理したり、
たった一人の時間を満喫できることは、
長時間のエコノミークラスを何の苦もなく過ごせる大きな理由ですし、
それ以上に、何にも代えがたい貴重な反省の機会なのです。
報道は、トランプ旋風吹き荒れるアメリカの大統領選挙と、
中国の全人代でもちきりだったような気がしますが、
二つの大きな国の動向に、大きな関心が寄せられる一方で、
その両方とも制度の本質や背景事情を報じきれていないような気がしております。
僕自身、ニュースを見ただけでは、これらについて完全には理解できませんでした。
「知りたい」という機会を与えてくれるにすぎず、
でも、それでよいのかなと承知しています。
「伝える」ことは難しいと実感します。
ゴールシーンだけニュースで見ても、どのようなゲームだったか理解できないように、
すべてはライブで感じないと理解しきれないでしょうし、
伝える側の恣意によって真実が伝わらないことも多々あります。
様々な価値観の中で、ひとつの言葉に対する共通の理解ですら怪しいのです。
「三寒四温」、どのような意味だと、とらえていたでしょうか。
そもそも「こんなコトバ知らない。」という世代の方々も。
世代だけでは語れないでしょうが、伝えることの難しさはメールひとつとっても言えます。
社内の若いメンバーに「メッセージが冷たい。」と指摘されたことがありました。
当たり前のように、LINEやメールのやりとりに絵文字や顔文字を使う習慣がないので、
それを「冷たい」とか「感情がない」ととらえられてしまうのです。
句点も読点も使わないメンバーからの「冷たい」という指摘に、
複雑な気持ちになりながら、若手とのコミュニケーションも深めなければと、
省みたりするのでした。
ジャーナリズムの難しさは、単純に伝えることの難しさに留まらず、
様々な要素が複雑に絡んでいるので、日常のコミュニケーションとは同列に語れませんが、
メールにしても電話にしても手紙にしても、
「伝える」のは発信者と受信者がいることで成り立っていて、
それぞれのルールやモラル、マナーがそこには存在します。
ルールを守れば、何を伝えても良いかと言えば、そうではなく、
マナーを気にするがあまりに本心が伝わらないのも、違いますし、
それぞれの関係性のもと、モラルも変わってくるものだと思えます。
難しいとは思いますが、ルールが要らない関係でありたいと思うのです。
報道も社内のコミュニケーションも、もちろん関わるすべての人と。
実際に会って、向き合って、解りあうことで、
ルールが必要ない関係になれたらと、切に願うのです。
だから、僕はどこにでも足を運びます。
自分の足で歩いて、触れてみて、出会い、感じたいと思うのです。
m(_ _)m