第58回 パープルタウン

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日銀が金融緩和政策の総括と新しい枠組を発表しました。
3年半におよぶ小手先の金融緩和政策の行き詰まりを示すような見直しですが、
2%の物価上昇という結果を残せなかったことについて、黒田総裁の会見は、
消費税の引き上げや海外景気の鈍化を理由とし、実に残念なものに終始しました。
UAEとの初戦に敗れただけで、次負ければ解任と、四方八方からの圧力を感じて、
敗因を語ったリーダーと比較すれば、その会見内容はあまりに責任感がなく、
リーダーとしての資質に欠いたものでした。

四半期に1回の物価見通しのたびの結果先送りはもはや恒例化していましたが、
金融政策のリーダーの残した結果について、ここまであまり騒がれず、
責任の負い方も明確でない点に、責任感欠如の原因があると思われるのです。
要するに、結果にコミットしなければ何かを生み出すことは難しいということです。
前掲のプロスポーツを例にあげるのは多少極論ですが、大げさに言えば、
命をかけて真摯に結果を求めることで、生き抜く技や知恵、精神状態が生まれますし、
優しさや思いやりさえも極限状態から生まれると僕は思うのです。
崖っぷちで心が救われたときの恩や、さしのべてくれた手の形や体温は忘れません。
所作として教え込まれたお礼ではなく、本当の感謝の念から口をつくアリガトウや、
恩に報いようとする強い意志は、責任をともなう背景事情とともに育つものだと、
自らの少ない経験に照らしても思えるのです。
だからこそ、結果に対して責任を問われない者の行動に期待はできないですし、
責任のともなわない土台に積み上げたキャリアや経験など信頼に値しません。
当然、リーダーシップは生まれません。そこに「心」がないからです。

大統領選迫るアメリカで感じることは、責任の伴わない権利がないということです。
ポピュリズムで権力を目指すドナルド・トランプ氏を有権者が選択するかどうかとか、
両党の政策がどうとかは、割愛しますが、選ぶ人も生じる責任を理解しています。
彼らは結果に対して責任を負うことに慣れています。それが日常だからです。
ビストロでグラス片手に笑顔なのは、難しいテストをパスしたり、意中の人をしとめたり、
昼間のグッドディールのおかげだけではありません。
各々が結果に対する責任をまっとうして、前を向いているからだと、僕は思うのです。
よい結果が残せた日もそうでない日も、必然的に自分と向き合って前を見ているのです。
明るく前を向く、そういう歴史であり、社会なのでしょう。
責任ある極限で前を向けるから、そのチャンスがあるから、笑顔でいられるのです。
オーバーシュート型コミットメントという聞きなれない新手法を取り入れる日銀。
例によって、責任を明確にしなければ、おそらく成果はないでしょう。
かくいう僕も明日の食事を確保すべく、前を見なければなりません。

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