45歳となったその日、節目なので、振り返ったり、思い出に浸ってみたりしてみようと、少し早く着いたヒースロー空港でカフェの椅子に腰かけました。好きな映画”LOVE ACTUALLY”の舞台で、映画と同じようにほのかな幸せを感じながら省みてもよいかなと。ところが、感傷にひたるような過去の出来事が何ひとつ思い浮かばないどころか、今日や明日といった極近い将来の心配事しか頭を巡らないのです。忌まわしい過去に蓋をしたいのか、前をのみ見つめて歩きたいだけなのかは、わかりませんが、振り返るという作業が得意ではない自分をあらためて知るのでした。
思いに耽るのを止めて文庫本を手にとります。どんなときも勇気を与えてくれ、前を向く自分の背中を押してくれた「坂の上の雲」を読み始め、確実に目が悪くなったことに気づきます。視力検査は相変わらず左右合計で4.0なのですが、スマホの文字やポイント10.5の原稿が読めずに、拡大したりしながら四苦八苦しているこの頃なのです。特に長時間の読書は覿面、歳を重ねていっていることを実感します。経験を重ねることの代償に、身体に変化が生じてくるのでしょう。
だからというわけではないですが、最近は一瞬一瞬を大切にしています。目の前の事象に対して全力を尽くすように、あえて先を見ず、周りを気にせず、より貪欲に。
己の過去をかなぐり捨てた、すさまじいばかりの西洋化を志した、当時の日本人には、サルという惨めなあだ名がつけられたそうです。産業と軍事を一気に真似て、一気に西洋と同様の富国強兵の誉れを身にまといたいという願望は、欧州の人からは狂気の猿真似と見えたとのこと。ただその実、一刻も早く西洋諸国に追いつかなければ、清国と同様に亡国寸前の状態となることが明白だった日本の危機的な状況が背景としてあったのでしょう。歴史小説が伝えてくれる高揚感が、欧州で節目をむかえた自分の心境と妙にシンクロします。
そう、終戦70年を超えた我が国は、まさにサルと呼ばれた当時と同様に危機的な状況下にあると思えるのです。超高齢化社会をむかえ、確実に経済の縮小化が見込まれる近い将来、物質的に満たされていなかった当時とは、また異なる種類の危機に直面しているといえます。積み上げた誇りをかなぐり捨てて、もう少し貪欲に挑戦したり、真似たりしてもよいのではないでしょうか。チャンスやサンプルは、当時と比べて比較にならないほど身近になった世界中にあるはずです。
ヒュー・グラントのナレーションを真似て。”chance actually is all around” 。