成田空港が近づき、ベルト着用のサインが点灯すると、安堵感がおとずれます。
再び目を閉じ、着陸までの数分間は転寝の時間となるのですが、
解散総選挙直後の我国の姿を見たくて、めずらしく目を開いて日本列島を眺めていました。
「美しい国、日本」。安倍首相の掲げる政策的なスローガンです。
九十九里浜に沿って無数の漂流ゴミが、目につきます。
目を疑うほどの数のゴミ。
最初、白い波がたっているのかと思いました。風が強いのかなと。
その実態は無数のプラスチックゴミです。
海水より比重の重い金属類のゴミは海底に沈み、その数ははかり知れないとのことです。
日本を訪れる外国人、日本をよく知る人は、日本の何に感動するのでしょうか。
秩序や清潔さ、礼儀正しさ、食べものやサービスの質。丁寧さ、
夜に1人で歩いても怖くないこと、子ども1人でも地下鉄に乗せられることでしょう。
定量化することはできない、日本社会を特徴づける生活の質に、人は感銘を受けます。
生産性向上の対価として、
東京駅のプラットホームにペットボトルやゴミ屑が堕ちていることは、まずないでしょう。
列車が遅れても誰も何も言わない社会には、まずならないでしょう。
創ることができなくなって奪い合うような国になることは、まずないでしょう。
そのように信じていますが、成田沖の漂流ゴミは一抹の不安を抱かせます。
誰がどのようなキッカケで、だしたゴミの集まりなのか見当もつきませんが、
「美しい国、日本」の玄関で、躓いた感じがしました。
今後自民党の長期政権のもと、日本は変わらないでしょう。
対処可能な多くの問題を抱えて、沈没もせず、なんとかやっていくでしょう。
人口問題を解決して高成長経済に転じることもなく、現状維持でしょう。
さほど変わる必要もないと、僕は思うのです。それで国民が幸せだからです。
ただ、我々ひとりひとりが、自らの良さを認識し誇りをもたなければ、
この国が、転落するのは、容易だと思います。
定量化することができない内心に宿るココロ自体が、この国を支えているからです。
そして、子供の頃、両親や近所のおばさんに「我慢しなさい。」とよく言われたように、
それを次の世代に伝えていかなければならないでしょう。
間違っていてもよいと思います。ときどき理不尽でもよいと思います。
僕たちも伝えようとする努力をするべきです。
というわけで、少しはそのようなことも伝えようと、カナダへ。
少し早い冬休をもらい、異国で生活する息子たちに会いに行ってまいります。
Merry Christmas.