小笠原沖でマグニチュード8.5の巨大地震がおきた週末、
東京でもかなりの揺れで交通網がマヒしたそうですが、実は、この地震に全く気付かず、
いや、それどころでなく、東日本大震災以降、最大規模となる激震と同時刻に、
急に左の胸の激痛に襲われた僕は、救急搬送されて、都立広尾病院にいたのでした。
このことは、無用な心配を避けたいという意思に基づいて、家族にも知らせておらず、
本稿を読まない限りは、誰も知り得るところではないのですが、
断続的な胸の痛みによって、
直感的に「これはマズいな。」と思った瞬間、頭にたった一つのことが過りました。
一緒にいた同僚に顧問弁護士を呼んでもらいました。
普段、物事に対して、ひとつひとつ明確にアプローチしていない代償とでもいいましょうか、
何一つとして、「中途半端でないこと」がない状態で生きているために、
いわば、すべてのことが仕掛かりだったのです。
この仕掛かりの状態をほぼ全て理解してくれているのが顧問弁護士でした。
彼を呼んでもらい、「万が一」があっても良いように、
すべての仕掛かりの状態を確認しておきたかったのです。
救急隊とほぼ同時に到着した彼のことを聞き、
救急隊員の繰り返しの質問に答えながら、安堵感が広がりました。
血圧が低下し(100/60)、脈拍が頻脈(120)の状態でも、
薄れた意識で、なんとか冷静に対処したいという自分がいて、
必死に生年月日と住所や今日一日のできごとを話していました。
一方でサイレンが鳴り、クルマが走り出すと、その音に気分が滅入ってしまい、
より具合悪くなっていきます。まさに病は気からだなと思い耳をふさぐのでした。
ほどなく救急車は止まり、ストレッチャーで病院に運ばれるのですが、
次第にさらに意識が遠くなってきます。
雪山で「寝るなぁ。」とバディを叩き起こす映画のワンシーンを思い出し、
自らに「寝るな。」と言い聞かせ、救急隊員に「他に質問は?」と逆に問いかけたり、
後で考えると相当滑稽な状況でした。
心電図をとり、採血、胸部エックス線。
その過程で、救急車を追っかけて運転し遅れて着いた顧問弁護士と会い、一言。
「なんかあったら、うまくやっておいてね。」
「救急車は信号無視して、俺は信号守ったから、遅くなったよ。悪かったね。
でも、アンタそんなんじゃどうにもならないから、大丈夫だよ。元気そうでよかった。」
この会話が妙に僕を安心させて、眠りにつくのでした。
イビキがうるさいという理由で起こされ、その後ドクターから所見を言い渡されました。
「心筋梗塞、狭心症、その他心臓に関することを優先的に診ましたが、問題ないです。」
どこも悪くないとのことでした。
わずか30分程度の睡眠で完全に回復した僕は、
今週、ほとんど睡眠をとっていなかったことを思い出しました。
この一連の騒動、直接の原因はいまだにわかりませんが、
不眠が、万病のもとであることに違いはないでしょう。
「寝るな。」でなく、「寝ろ。」だったわけです。
一晩あけて、風を感じて、緑を確かめ、青い空を眺めて、プチ臨死体験を思い出し、
「止まる」ことの大切さを説いた先輩の言葉を思い出すのでした。
僕があまり睡眠をとらないのは、
寝ている間に何か変化があったりすることへの恐怖からなのです。
少しでも前進しないと、取り残されそうな気がして、ついつい休むことを疎かに。
進むために、休むことや止まることが必要なのは十分理解しているのですが、
どうしても動きたい衝動にかられます。
自らを省みるために、このエピソードを記しておきます。
いつでもどこにいても頼りになる顧問弁護士に感謝の意もこめて。