第30回 歴史

まったり
まったり

為替相場のボラティリティの上昇が目立った一週間でした。
各国の中央銀行総裁が、為替相場に関し直接的に言及すれば、
市場はビビットに反応するわけで、プロフェッショナルの金融マンが反応すれば、
当然それに呼応して一般の人々は反応するのです。

ニュースになるのは、そのあと。
多くのエコノミストが語るのは、ちょうどその頃ですから、
「あとからなんて、なんとでも言えるな。」というのが、一般人の感想です。
予測している未来は大方外れています。年末の株価、ドル円相場、米国債、ほぼ全て。

過去について言及しているわけですよね。歴史学者と同じなのでしょうか。
中学生のときに担任だった歴史の先生が、首を横に揺らしながら仰っていました。
「歴史を学ぶことは、失敗をできるだけ回避できるので役に立つ。」と。
なるほど、過去を振り返り、致命的な失敗を回避することが可能になるのでしょう。

四半世紀、仲よくしてもらっている親友の一人は、非常に優秀な経営者ですが、
過去を振り返り、恐怖で統治した君主は継続的な支配ができないと学び、
現場にすべて任せる「超・放任主義的経営」で、大きく業績を伸ばしています。
彼は、よく歴史を語ります。日本の歴史、世界の歴史。
そしていつも最後にこう言います。
「結局最後はヒトだよ。モノもカネもジョウホウもヒトがつくる。」と。

なるほど、多くの人がよいと思って購入する商品もサービスですから、
その声に耳を傾ければよいわけです。
提供する側もその多くの人の一人ですから、
経営者のエゴなどではなく、現場の声が商品やサービス品質を決めていきます。
友人はそうしているのです。

考えてみれば、相場もそうです。
多くの人がどう思うかによって、相場が動かされています。
時に実態を離れて、各国の中央銀行の思惑を離れて、動きます。
「相場は相場に聞け」という格言はまさにそうで、
多くの人の声に耳を傾けることが肝要なのです。

ときどき、多くの人の声を忘れそうになります。
自分自身が見えなくなることもあるでしょうし、
信じて進んでいる道が正しくなく感じることもあるでしょう。

前掲の担任の先生の言葉を思い出します。
「歴史を学ぶのも大切ですけれど、笑顔で今を生きることが大切です。」
園芸部の顧問でもあった彼が、中庭のバラの害虫を駆除しながら言った言葉です。
「キモイな。」と当時は思っていましたが、
いま僕はなんとなくその意味を理解しかけています。

大切なことや笑顔を忘れかけたら、喧騒を離れて休憩してもよいでしょう。
大切な人と歴史を語ってもよいかもしれません。

マルク・ブロックの「歴史のための弁明」の冒頭にこう書かれています。
「パパ、歴史は何の役に立つの?」
少年が父親に問いかけるのです。
さて、なんて答えましょう。
役に立たなくても、学んだって構わないのだと、まずは教えたいものです。

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