誰でも親友はいるでしょう
何人いるでしょうか。それほど多くはないでしょう。
あまり多いと「親友」のブランド価値はさがるのではないかと、少し不安になります。
時代によっても友人は、異なってくるでしょうし、
自らが歩む道、つくりだす環境によっても、友人は変わってきます。
「高校時代の親友」などという言葉をよく聞くのもそのためでしょう。
社会人になってからできた親友も少なくありません。
ビジネスという戦場をともに生きた戦友だからなのでしょうか。
先日、親友がその親友に十数年ぶりに再会する場に立ち会いました。
二人は思春期をスペインのカンテラ(=サッカーの下部組織)で過ごし、
ともに31歳をむかえ、一方は代表チームで欧州や世界制覇し、いまだに現役を続け、
一方は選手生活を引退し、解説者として国内外で活躍しています。
活躍する場を変えた両名の再会は、あたたかいオーラに包まれたものでした。
スペイン語でかわす言葉の詳しいことはわかりませんが、
その再会の感動は周囲に伝わります。驚きと懐かしさと互いに対する尊敬と。
ともに通った高校のことや共通の知人のこと、
ちょっとした近況もふまえて話したのでしょうか。
感動のお裾分けを預かった翌日、
偶然にも、もう30年近くになるつきあいの親友から連絡がありました。
「週末、別荘にいるから、よかったら手ぶらで来てよ。」
いつも通り、突然で意図のない誘いです。
都合がつけば会い、そうでなければ会いません。ときには何年間も。
彼と出会ったのは中学1年生です。出席番号が彼は35番で僕は43番。
35番は教壇の真前で、43番は左の後ろの方です。
落ち着きのない彼はいつも後ろを見ていたので、極しばしば授業中に目が合いました。
僕はサッカーに没頭する一方、彼はそうではなかったのですが、
その当時から自律していて、将来像をもっていた彼と時間を共有することで、
違う世界を見たり、自分の知らないことを知ることができたり、
ある意味、自分と異なることに対して、憧憬の思いもありました。
やがて出会った当時に語っていた未来の通り、彼は医学を志します。
ますます、それぞれの環境も歩む道のりも変わっていくわけですが、
変わらず年に一度クリスマスパーティーと称して、
年末に集まり、その年を振り返る機会を催していました。
もちろん都合が合わず、参加できないこともあります。
共通の友人を誘ったり、家族が増えたり、減ったり、変わったり、
クリスマスパーティーの参加者は変わったり、同じだったり、
それでも毎年、師走になるとインビテーションが郵送で自宅に届くのです。
時は変わり、郵送のインビテーションは、色気のない携帯電話からの誘いになり、
子供たちの喜ぶ夏の海が舞台になり、互いに白髪交じりになり、薄くなり…
バーベキューが始まり、特に語らうこともなく、今回も夜7時になると、
庭のデッキチェアで、微睡み始め、日々の疲れを癒すのでした。
12時間の睡眠で、頭と身体をリセットして、次の日をむかえます。
いうまでもないことですが、
親友とは、出会った時期も年齢も職業も環境も経済力も関係なく、
趣味や関心事が異なっても、いつ会っても親友でいられる関係なのでしょう。
サンタンの肌にシーブリーズをふって、
今もかわらず、神様が微笑む夏休みです。