先週末、三井住友銀行で罵声を浴びせられました。感情を剥き出しにした対応に驚きを隠せませんでしたが、仕事として銀行交渉している以上、良好な結論に向け折衝しなければならない故、自らの意見や感情をおさえ、常識論も一旦胸にしまい、冷静に相手の意見にのみ従って対応しました。具体的な内容については差し控えますが、世界的な企業であるにもかかわらず、極めて幼稚で非常識な対応に残念な思いでおりました。この担当者、他でもこのような対応をしているであろうことは想像に易く、現に同僚から同様の話を聞き、納得しました。それでもこの個人に対して何の責任を追求することもできず、サービス業としてこのポストを与えなければならない企業側の事情もまた悲しいものです。
同日、世田谷区役所で、これとは真逆の対応をされました。役所での手続といえば、ただでさえ複雑で面倒に感じるうえに、不愛想な受付が必要以上にわかりづらく説明するというのが、これまでの僕の印象でした。ただ、この日は、その印象を覆すような対応をしていただいたのです。当方の事情や感情をよく聞いていただき、当初依頼していた以上に、意向に沿う制度があることを告知していただきました。
好対照なふたつの出来事が、午前と午後におこる不思議な一日だなと思い、会食の時刻を気にし、夕刻事務所に戻るのでした。
帰路、要するに「個人」なのだなと、納得していました。相手のことを思いやるのも、仕事を遂行するのも、真剣に生きるのも、恩や運、縁を大切にするのも、要するに個人であって、その集まりが組織になったりチームになったり会社になったりするのだな、と。日本有数の金融機関であろうが、小さなマチの役所であろうが、関係ないわけです。あらためて「個」を認識させられ、自分自身があと1か月となった今年、どのように研鑽できたのかを省みさせられるのでした。
ノックアウト方式のJ1昇格へ向けたプレーオフ、名古屋vs千葉。選手や関係者が文字通り命をかけて臨んだ一戦は、酷い誤審により、実力や試合内容とは異なる結果を生み出しました。ゴールキーパー以外の選手は手を使えないスポーツと教わって始めた競技の今季のクライマックスは、最終的に手でボールを操ることを審判団が認め、幕を閉じました。
ここでも問題は「個」にあると思えます。いつになってもレベルをあげない、レフェリー個人に。まずは彼らをジャッジすべきだと僕は思うのです。選手たちの人生の岐路を示す笛を吹く資格があるのかどうか。彼らが何ら評価を受けないうちは、個のレベルアップなど見込まれないでしょうし競技全体の向上もあり得ないでしょう。ミスジャッジは仕方なく、それもスポーツの醍醐味かもしれませんが、そのミスや責任の所在をいつまでも不明瞭にすることは、確実に愛するファンを失うことに繋がります。ビジネスでもスポーツでもこれは同じです。現に僕はさくら銀行時代から保有していた三井住友銀行の口座を解約しました。まずは村上主審に誤審を認め反省していただきたいものです。もう明日が待っています。