第81回 青い影

 まだ時間が無限にあると誤解していた頃、部活がオフの月曜日、ごくしばしば、渋谷駅をおりて徒歩5分ほどの喫茶店に向かいました。急な階段をあがり、薄暗い店の端の方で、注文したアイスコーヒーのグラスが汗をかいているのを見つけ、マイルスデイビスのレコードの大きな音量に、小声で話さないと申し訳ないなと思わされながら遅れたことを彼に詫びて、レスポートサックのショルダーバッグからサッカーマガジンを取り出します。ボックスから1本取り出して、火をつけ、彼と同じものを注文します。ほどよい距離感のマスターが、学ランの喫煙者を無視するかのように、静かにグラスを運びます。マルボロが240円の時代。

 絵画とか音楽に造詣が深く、10代で既に医学の道を志していた彼は、僕にとっては、自律した魅力的な同級生でした。そうでなくても12歳で知り合って以来なんとなくウマがあって、同じ時間を過ごしていました。
 ココでも互いに用意してきた違う本や雑誌に目を通し、干渉しあわない時間を過ごすのですが、ときおり、煙る部屋の天井を見ては、後期末試験の日程を確認したりして、時間が過ぎていきました。

 彼の妹が亡くなって、今年で20年だそうです。10年ひと昔といわれるくらいだから、その倍はスゴク前のことなのでしょう。でも時間という概念は単純にそう割り切れるものでもないわけで、お互い守備を固めて引き分けを狙うような退屈なゲームは永遠に感じるし、仲間との極上の時間は一瞬です。
 節目を意識して、仲間の一人が発起してくれた偲ぶ会は、僕らの思い出の場所で。笑顔に包まれた彼女のとり持った縁の宴は一瞬で終わりました。この日もあの日のことを直視するのを避けるかのように、夜は過ぎていきます。

 解散。あのときと変わらない急な階段をおり、振り返って店の看板を見上げて驚きました。僕らと同い年だったのです。よく続いているなと感心しつつ、その店の命もあと1ヵ月と聞いて、時の流れの早さと、変わらなければならない切なさに、感情が支配されます。
 「前を向くのは独りでもできる。でも振り返るのはときどき誰かと一緒がいいかもね。」帰り際、彼の口をついた言葉でした。「閉店まで、もう一度行こうか?」冗談とも本気とも言えないテキトーな返しで、久しぶりの再会を締めてみました。
 間もなく満月になる月が、キレイに舗装された坂道に影をつくっていました。いま僕は、時間が有限であることを理解しています。

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