第9回 美しい国、日本

機内から
機内から

成田空港が近づき、ベルト着用のサインが点灯すると、安堵感がおとずれます。
再び目を閉じ、着陸までの数分間は転寝の時間となるのですが、
解散総選挙直後の我国の姿を見たくて、めずらしく目を開いて日本列島を眺めていました。
「美しい国、日本」。安倍首相の掲げる政策的なスローガンです。

九十九里浜に沿って無数の漂流ゴミが、目につきます。
目を疑うほどの数のゴミ。
最初、白い波がたっているのかと思いました。風が強いのかなと。
その実態は無数のプラスチックゴミです。
海水より比重の重い金属類のゴミは海底に沈み、その数ははかり知れないとのことです。

日本を訪れる外国人、日本をよく知る人は、日本の何に感動するのでしょうか。
秩序や清潔さ、礼儀正しさ、食べものやサービスの質。丁寧さ、
夜に1人で歩いても怖くないこと、子ども1人でも地下鉄に乗せられることでしょう。
定量化することはできない、日本社会を特徴づける生活の質に、人は感銘を受けます。

生産性向上の対価として、
東京駅のプラットホームにペットボトルやゴミ屑が堕ちていることは、まずないでしょう。
列車が遅れても誰も何も言わない社会には、まずならないでしょう。
創ることができなくなって奪い合うような国になることは、まずないでしょう。

そのように信じていますが、成田沖の漂流ゴミは一抹の不安を抱かせます。
誰がどのようなキッカケで、だしたゴミの集まりなのか見当もつきませんが、
「美しい国、日本」の玄関で、躓いた感じがしました。

今後自民党の長期政権のもと、日本は変わらないでしょう。
対処可能な多くの問題を抱えて、沈没もせず、なんとかやっていくでしょう。
人口問題を解決して高成長経済に転じることもなく、現状維持でしょう。
さほど変わる必要もないと、僕は思うのです。それで国民が幸せだからです。

ただ、我々ひとりひとりが、自らの良さを認識し誇りをもたなければ、
この国が、転落するのは、容易だと思います。
定量化することができない内心に宿るココロ自体が、この国を支えているからです。
そして、子供の頃、両親や近所のおばさんに「我慢しなさい。」とよく言われたように、
それを次の世代に伝えていかなければならないでしょう。
間違っていてもよいと思います。ときどき理不尽でもよいと思います。
僕たちも伝えようとする努力をするべきです。

というわけで、少しはそのようなことも伝えようと、カナダへ。
少し早い冬休をもらい、異国で生活する息子たちに会いに行ってまいります。
Merry Christmas.

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