自分自身、上々の滑り出しの2016年。
気分とはウラハラに、年明け以降の世界のマーケットは原油安と新興国経済の減速懸念から
先行きが不透明で、日本では円高株安が進んでいました。
南の国から帰国した僕は、この二週間、首都圏以外の企業に赴くことが多く、
主に、静岡や岐阜などの東海地区の中小零細企業を数度たずねました。
各地域で企業の方々とお会いして実感したのは、
日本がモノをつくれなくなっているのではないかという、疑問と強い不安です。
そして引き続き根強くある「景気」に頼る地方企業の経営観。
射出成形金型の工場では金型を製作する技術者がいないことを聞き、
ドリリング工場では以前より精巧に穴をあけられず隣国の技術に頼っていることを聞き、
コールセンターを経営している会社はすべての機能が国内にないことを聞きました。
一昔前はバブル時代への回帰を今は一様に中国経済の好期をアテにしています。
小学校の社会科の教科書には「日本は加工貿易(加工輸出貿易)の国」と記されていたのに、
その特徴を感じることはできず、下請け工場が連なる地方工業団地には空き工場も目立ちます。
もはや団地であるメリットを享受できていないように感じます。
地方の工場めぐりで、漠然とした不安が視界に飛び込んできたのです。
(もちろん例外もあるとは思いますが。)
おりしも先週末、日銀が予想外のマイナス金利導入を決め、市場を混乱させていますが、
その背景にあるのは、円高株安の解消、金融機関の積極的なスタンス促進という目的です。
はたしてその目的は達成できるのでしょうか。
金融政策決定会合での決定が5:4の多数決によるものだったことからも
その決定は微妙だったことが伺えますが、
おそらく、市場では各国の競争的な通貨切り下げが再び起きるでしょうし、
そうなれば、このひとときの円安状況も一転することとなります。
金融機関の積極的なスタンスが見込まれるかも極めて懐疑的です。
資金を供給する相手方に付加価値がないにもかかわらず資金を投下したところで、
成長は見いだせないでしょう。
僕がこの二週間通った、下請けの零細企業に資金がまわってくる様子は想像できません。
本質を見極めない小手先の手法が何も生み出さないことは、
他でもない先輩方がよくご存知なはずです。
にもかかわらず、日銀は5:4の多数決の結果、賭けにでました。
一方で、「地方創生加速化交付金」や「ものづくり補助金」など、
一見、本質的な問題にアプローチしているかのような、
耳触りのよい施策はいくつも耳にします。
ただこれらも真に実効されているとは言い難いものです。
なにより助成金などは、その告知方法の悪さや手続の繁雑さから、
一部のブローカーや助成金コンサルタントを潤わすだけで、
活用されきれているかも疑わしく、実際に使用したい人を遠ざけます。
東京から数時間電車に乗れば、数々の施策の疑わしさを垣間見ることができます。
東京以外の日本で、日本の現在地を確認することができるのです。
だからといって、自分たちの意思で選ばれた政権をただ批判することは、
自らを否定することですし、避けなければなりません。
政策批判など、それこそ何も創造しません。
いま僕は、こう考えます。
いまこそ、ものごとの「本質」をしっかりと見つめるべきなのではないでしょうか。
ひとりひとりが自身と向き合い地に足をつけ、自身に問いかけ、本質は何であるか考え、
コツコツと積み上げることを恐れずに歩むべき時期なのではないでしょうか。
再び、じっくりと「モノ」をつくる時期なのではないでしょうか。
そしてその歩みをお互いに寛容に見届けるべきではないでしょうか。
何でもボタンひとつで手に入ってしまう時代。
修理するより買った方が安い時代。
とにかく便利があふれている時代です。
面倒でも、「遅い」と批判されても、じっくり考え、それぞれの一歩で歩むことで、
そこに本当に何があるのかがわかると思います。
隣国の経済動向や小手先の金融政策に頼らない揺るぎないチカラが身につくと思います。
本質を見極め、自律することができるのであれば、
ただ流行っているというだけで、美味しくないパンケーキに、
「美味しい」と言って行列をつくることはなくなるでしょう。