落語家、立川談志が11月21日に亡くなった。
破天荒な落語家、理屈っぽい落語家などと呼ばれた談志を私が知ったのは、30年前のことで、同時に、私が落語に接し始めた時期でもあった。
▽立川談志の紋
私が神田神保町すずらん通りにあった日中学院で知り合った友人、小宮信男が脱サラして大好きな落語の道を歩み始めたのが昭和53年で、私も、そこから落語が身近なものになっていった。
小宮信男が入門した落語家の師匠は、三代目三遊亭円之助と言い、NHKの銀河ドラマ「姉さんシリーズ」に出演して人気もあったが、落語家としては三遊亭円朝の流れを汲む三代目三遊亭小円朝の弟子で古典落語を得意としていた。落語家になるには28歳は普通では考えられないくらいの年齢だが、何が何でも入門するという強い意志と決意で、弟子のいない円之助師匠宅を日参し、根負けした師匠から許可され見習いで入門ができた。昭和53年のことである。
さて、落語家について、ご存知の方もおられるが、職業としての落語家は真打になってからで、入門してから見習い→前座→二つ目→真打になるまでは10年から15年も修行を積む。
見習いは、師匠から入門の許可を得た落語家の卵で、その後、前座名を師匠から貰い、前座登録をして、前座として楽屋入りする。通常は師匠宅で師匠・その家族のために家事などの下働き・雑用をし、休みはない。住み込みで身の回りの世話をすることもあったが、最近は通いが多く、食事は師匠宅でするので食費は要らないし、住み込みならば家賃や衣装代も要らない。
前座になると寄席での仕事が課せられる。寄席で呼び込み太鼓・鳴り物・めくりの出し入れ・色物の道具の用意と回収・茶汲み・着物の管理など楽屋、寄席共に毎日雑用をこなす。
二つ目は、一人前の落語家として認められる。羽織を着ることや自分で落語会を開催し、他の落語会に出演させてもらうことも自分でテレビ・ラジオ出演や営業等への売り込みをすることも出来る。
真打は、敬称が「師匠」となり、弟子をとることが許される。真打昇進の際は、特別の興行となり、真打披露目が行われ、口上が述べられる。
小宮信男の前座名は、三遊亭円吉。前座修行中の昭和55年6月に円之助師匠が脳溢血で倒れた。師匠は病気で半身が不自由になったが、伊豆修善寺リハビリテーションで1年間リハビリすることで独演会などの高座に上がれるくらい病状は回復した。当時、円吉が大きな風呂敷を持って、東京と伊豆を往復していたことを私も聞いて知っている。師匠が回復した昭和56年、前座修行が終わり、円吉は二つ目になり、師匠の二つ目時代の名、三遊亭朝三をもらう。
朝三になった小宮は、同じ二つ目の仲間と勉強会や落語会を開始する。今でも新橋にある居酒屋「炉端」の土曜寄席、足立区北千住の蕎麦屋の2階で行われる勉強会など、私は何れの会に呼び出され、落語を聴く付き合いを続けながら、演目の一つ一つを覚えていった。そんな時期に、ある夜中、小宮から電話があった。勉強会で初めて出す話で、登場人物の誰に重点を置いたら良いかを迷っていると。素人の私が判る訳がないだろうと言うと、そうだよなぁと言って電話を切った。古典落語は昔の人が創り上げた噺を語り継ぐものだから、誰が演っても同じだろうと思っていたが、小宮が悩むくらいに深いんだと知った。それからは、落語の本、落語家の本、落語のレコードを買ってきては、演目が同じでも演者が違う落語などを比較しているうちに段々と面白くなってきた。
そんなときに立川談志も知った。それも「現代落語論」で。確かに理屈っぽい。老成すれば円くなると言われるがとんでもない。晩年には『落語とは人間の業の肯定である』と気障に言いきり、しかし、研究熱心で古典落語に「現代人としての考察」を徹底的に加え、「伝統を現代に活かす」べく、切磋琢磨していた。その結果、晩年の「芝浜」は「神が降りてきたよう」な、とんでもない噺に仕上がった。
▽現代落語論
昔の書物に立川談志の研究熱心さを物語る箇所を見つけた。それは、山本益博「名人芸[現在]を生きる」(レオ企画、昭和55年12月20日発行)の「談志の批評眼」で、紹介する。
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立川談志が、さいきんちょっと変わったレコードを出した。
落語のレコードといえば、両面に一席ず収めたものが通り相場だが、タイトルからして『ドキュメント・立川談志』(ビクター)と銘打った二枚組のレコードには、高座以外の話術がふんだんに録音されていて、談志の芸のうらおもてを知るには興味深い内容になっている。
とくに「稽古風景」などは、ふつうわれわれが窺い知れぬもので、その現場の音を聴くだけでも面白いのだが、談志が前座に「野ざらし」の稽古をつけている内容が、そのまま談志の「野ざらし」の成り立ちを教えることにもなっている。
談志は、マクラの一言一句から細かく分析そはじめ、「バカの番付」というマクラでの「醤油を三升飲んだ人」というところを「飲んだヤツ」ということで、演者の主観を出しているのだといったことなど、高座で聴いているときはウッカリ通り過ぎてしまう言葉である。
本題に入ると、こんどは自分の「野ざらし」のルーツを明かしながら、ポイントになる言葉をあげて分解してゆく。
「あたしの『野ざらし』の前半は柳枝、後半は柳好の型で演ってるが、円遊師匠や志ん生師匠のギャグや、アクションは助六師匠のを採り入れてる。だから、他人のは見ておかなきゃいけないんだ。そして、そのあいだに自分の主観というか批評を噺に加えていくこと。それから言葉でいうと<幽太>(幽霊のこと)なんていう言い方も、今はなくなっちまったが、落語では大事な言葉だから残しときな。あと、熟語、現代語の配慮、これひとつで噺が自分のものにどうにでもなるから……」
談志の高座が批評的であることが、この「稽古風景」を聴くことで、より一層明確になってくるが、同じレコードに収まった「漫談」の高座は、落語家談志の批評精神がもっとも発揮されているものとして、一聴をおすすめする。
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小宮信男こと三遊亭朝三は、二つ目で落語会・勉強会を続けていたが、昭和59年、自転車走行中にトラックに跳ねられ、亡くなった。享年34歳。また、師匠の三代目三遊亭円之助も1985年4月に国立演芸場で演じた「高野高尾」が最後の高座となり、同26日、「サヨウナラ」を最後の言葉にして心筋梗塞で亡くなった。享年56歳。弟子の三遊亭朝三が交通事故で亡くなったのが堪えた。
「だんしがしんだ」から久しぶりに三遊亭朝三を思い出した。小宮信男によって、落語の面白さを奥深さを教えられ、桂文楽、三遊亭円生、古今亭志ん生、柳家小さん、桂三木助、桂米朝、桂小南、金原亭馬生、古今亭志ん朝、立川談志、桂枝雀、柳家小三治などの落語を聴いた。これからも、自分なりの解釈で語る落語家の出現を楽しんで行きたい。
※三代目三遊亭円之助「はなしか稼業」には小宮信男が少し載っています。
▽はなしか稼業