第28回 『師匠から預かったもの、貰ったもの』

 昨年7月22日の「花期花会」に掲載した「ストーリーのある広告」は、我が師匠である手塚幸男さんから預かった過去の新聞折込広告の中から「エンドーチェーン」を紹介した。

 師匠からは、エンドーチェーン以外にも、現在では殆ど広告の現物が無い30~40年前のスーパーマーケット全盛時代であった当時のダイエーやイトーヨーカドー、西友、サミットストアの広告も預かっている。

 2月11日、久しぶりに世田谷にある師匠宅を訪問した。師匠は1926年生まれの85歳。矍鑠としており、驚いたことに2月1日から台場の東京ビッグサイトで開催されたスーパーマーケット・トレードショーにも行かれたそうだ。師匠が何故に今でもスーパーマーケットに関心があるのかの理由は、昔、ブルーチップに関係していたからだ。

 ブルーチップとは、現在のポイントのようなもので、1963年当時は切手のような紙で、食品スーパーで買物をすると、一定の料率でチップをレジで渡され、それを定められた台紙に貼り、ブルーチップまで郵送なり、届けたりすると商品交換ができた。師匠はブルーチップが1967年に設立した経営共同研究所の所長をしており、食品スーパーの顧客管理などにも携わり、当然、新聞折込広告をどう計画したら良いかのアドバイスもしていた。その集大成が、昭和55年(1980年)に商業界から出版された「チラシのマーチャンダイジング その政策から制作まで」だ。

▽チラシのマーチャンダイジング -その政策から制作まで-
チラシのマーチャンダイジング

 「チラシのマーチャンダイジング その政策から制作まで」は、チラシを作るうえでの心構え「チラシのメリット・デメリットを把握して、これからのチラシの方向を確認する」ところから、具体的な制作に盛り込む必要条件を解りやすく実例を用いながら説明している。

 今回も師匠から「家を整理していたら過去のチラシが出てきたから持って帰って良いよ」と言われ、サミットストアの広告を預かった。また「最近の西友は面白い」と言われ、師匠が最近集めた西友の取り置いた広告も預かってきた。

 そうこうしていると書棚から古い鋲打ちの箱に入っている本を2冊取り出してきた。共に昭和6年発行の本で著者は谷孫六(1円30銭)。私には知らない人だ。「宣伝時代相」と「新商売往来」。「宣伝時代相」には当時の新聞広告についての面白い話が載っており、「新商売往来」には商売を始めるにあたっての心得とチラシを使った広告の仕方が書かれてある。2冊とも当時の時代が映し出された面白そうな本だった。

 師匠は「持ってって良いよ、あげるよ」。

 今回は興味深い本を戴いた。ライフワークである新聞折込広告の歴史をまとめるにあたり、時代の空気を読み取るための参考になりそうだ。

▽谷孫六「宣伝時代相」
宣伝時代相

▽谷孫六「新商売往来」
新商売往来

<参考までに>
「谷孫六」っていう人のこと。
 明治22年(1889年)に茨城県北相馬郡野木崎村(現・守谷市野木崎)に生まれた。本名は吉田正世。小学校4年生に句集「やまびこ」に投稿して好評を得るなど、子供の頃より文学の資質があり、高等科に入ると2年目には2階級特進で第4学年へ編入。明治38年(1905年)に母の生家である矢野家の養子に迎えられ、矢野正世として同家を相続。
 明治44年(1911年)に小石川区白山前(現:文京区)の義兄滝沢慎作(新聞社「万朝報」の社会部長)方へ下宿し、大正2年(1913年)に東京毎夕新聞社に入社。編輯、営業を経て、庶務部長、外交部長、地方通信部長、編輯局長、営業局長となり、大正10年(1921年)には副社長兼支配人に上り詰めた。川柳に興味を持ち、「矢野錦浪」と名乗って雑誌「きん坊」を発行。文芸雑誌「白羽」なども主宰した。
 東京毎夕新聞社営業局長の頃は芝区三田四国町(現:港区三田)の邸宅に住み、文豪吉川英治と親交を交わし東京毎夕新聞社に推薦し、家庭部、学芸部に所属させた。大正15年(1926年)1月に東京毎夕新聞社を退社し、読売新聞社の営業部長となった。
 経済に関する著書が名を轟かすようになった昭和6年(1931年)1月には新聞業界から身を引き、花王石鹸本舗長瀬商会の常務取締兼支配人となり、同商会主宰の家庭科学研究所の所長を兼務した。
 昭和10年(1935年)6月に病気を理由に退社し、京橋区宝町(現:中央区京橋)で財務経済に関するコンサルタント業務を開始したが、翌1936年(昭和11年)11月17日に享年48歳で、この世を去った。

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