私にとってイタリアは、第二の故郷。
皆さんもご存知の通り、イタリアでは現在も、新型コロナウイルス感染症が広がり大惨事になっています。
留学当時に出会った友人、イタリアへ行く度毎に増える友人達の近況で、今イタリアでどんな事が起きているのか?
日本で報道されるイタリアの状況よりも、もっと生活に密着した事柄がSNS、メール、ブログ等を通し、知ることが出来ています。
短期間ですが、イタリアに留学し、度々研修旅で訪れる私としては風景もリンクし、人々の生活スタイルやイタリア気質等を少しわかる事もあって、決して対岸の火事とは思えない心情でおります。
悲しい出来事のニュースばかりが多いですが、関わっている医療従事者の皆さん、日々健康に生活する(現在篭り中のイタリアの人々)中での心温まるエピソード(イタリアに住んでいる日本人の友人達含め)に、やっぱりそうか!
きっと頑張り抜いてくれると心から信じる気持ちが、大きくなりました。
私が様々なスポットで経験した(本当は、数えきれない程ネタがありますが)『イタリア人の助け合い(愛)精神』のお話をしますね。
私が、初めてイタリアの土地を踏んだ年 2007年へタイムスリップしましょう!
3ヶ月の短期留学中、私は最後の1ヶ月は、日本で予め行程を決める事をせず、食の研修旅をテーマに掲げ、興味ある州を訪ねる事にしました。
北イタリアリグーリア州を旅した時、助け愛精神のリレーで無事に難を逃れました。
リグーリア州には、世界遺産チンクエテッレ(イタリア語で5つの土地という意味をもちます)地中海に面した小さな村が連なる村は、海か列車(鈍行)が交通手段です。
崖の淵に連なって建つお家が、とてもカラフルで可愛くて、海に面しているだけあり魚介系(オリーブオイルも有名)のお料理、ふわふわ生地のフォカッチャも有名です。
州都はジェノバ。
ジェノベーゼソースと手打ちのパスタ(TROFIE)を実際に食べてみたくて、チンクエテッレへと向かいました。
イタリア滞在も3ヶ月目。
季節も段々と暖かくなり、海で泳げるかも?と水着を持って向かったのでした。
フィレンツエから目的地リオマッジョーレ駅にやっと着いて(ローカル線の為乗り換えが沢山あって、緊張しまくりでやっと辿り着きました。
楽しむ時間もなく、慌てて帰るはめになるとは、、、
ちなみに、私は日本から携帯電話を持ち、イタリアへ渡る予定でした。
が、、、成田空港へ到着前にアクシデント発生!前泊したホテルから成田へ向かう間に、携帯紛失。
電話会社へ連絡し、携帯を止めてもらい、イタリアへ。
日本と連絡取る為の手段が、あっけなく途切れた瞬間。(逆に心が決まった気がした瞬間でもありました)
郷に入れば郷に従え。(かなり前向き)
イタリア時間を思い切り楽しもう!
イタリア語教室で借りた、イタリア国内のみ通話が出来る携帯をお守り代わりに抱えながら、3ヶ月間過ごしました。(お陰でイタリアで友人が出来ました)
そして持参してきた小さい辞典。
途中EMSで送ってもらった電子辞書。
この辞書が困った時に、頼りになりました。
駅に着いて、意外と慎重派の私は、帰りの切符(ミラノまで)を先に買っておこうと駅窓口に並びました。
駅員の言っている事(単語がわからず)が上手に理解出来ず、NON、、、しか理解出来なくて、切符を買うのを諦めました。
後で単語を調べたら、SCIOPERO(スト)でした。
この単語を知ったのも初めてでした。
私が帰る予定日にスト。
列車は動かず、その先の予定もどうなるか?わからないとか。
どうしよう。
水着も着たいけど、帰れなければトリノで美味しいもん逃しちゃう!(帰国1週間前でしたし)2泊3日の予定を急遽1泊のみにして、ミラノのホテルミケランジェロ(急だったので高かった!)を急でしたが、予約をして、帰る準備をしました。
一応、美味しいもん(フォカチャ、目当てのパスタ、魚介料理はしっかり胃袋に収めました)は、ひと通り楽しみました。(それ大事)
1泊した日の、暑苦しい夜の風 今でも忘れません。
スト前の駅は混乱していると聞いたので、緊張で夜もあんまり眠れず(ミラノまで行く経路が理解出来ていず、なお更不安が募りました)ミラノへ帰る当日駅に行ったら、人がいっぱいです。
鈍行列車を待ってるのですが、時間通りにはやってきません(イタリアあるある話)ストの影響で、後押しの遅さです。
とりあえず来た列車へ乗りました。
席に座り何処の駅で降りたら最短なのか?わからないので向かいに座っているイタリア人に、尋ねてみました。
ミラノへ行きたいのですが、どの駅で降りたらいいですか?(辞書を片手に)
ペラペラと親切に話をしてくれるのですが、上手く聞き取れず、、(困った)
そこに、また一人救世主が現る!
通路に立っていたイタリア男性が、途中まで一緒だから着いて来いよ。
的な感じで、合図をしてくれました。
あ~良かった!
相談した向かい席の男性が、笑顔でBene!とガッツポーズで私を励ましてくれました。
きっと不安そうな顔してたんでしょうね。。私が。
途中で降りる駅近くになった時、立っていたイタリア人がAndiamo(行こう!)とポンポンと肩を叩いてくれ、私は席を立ち向かいのイタリア人にお礼を言って、チャオチャオしました。
そこから、また救世主が現れました(助け愛運動の連鎖がおきました)乗り換えを一緒にしてくれたイタリア人が、誰かミラノ方面まで行く人いませんか?的な話を乗客に尋ねてくれてました。
ギュウギュウの列車の列に並ぶ人の中からまた一人ミラノへ行く人を見つけてくれて、私は、助け愛のリレーのお陰で、無事にミラノまで辿りつきました。
宿泊ホテルの場所までも、3人目の救世主が教えてくれました。
困った時はお互いさま。
3年前にも私はイタリアに住む日本の友人からこの言葉をかけてもらい、助けてもらった事もあります。
助け愛リレーで私を助けてくれたイタリアの人々。
イタリアを含め、世界で暮らす人々に、早く平穏な日々が戻りますようウイルス治療にベストを尽くし続けている医療従事者の皆さんにエールを送ります。
Andr’a tutto bene を合言葉にイタリアの皆さんが団結しています。
昨日SNSに投稿していたイタリア在住の友人(日本人)の投稿を一部抜粋します。
『ここ数日、逆に日本の状況の方が心配になってきています。中国、ヨーロッパそしてアメリカでこれだけ騒ぎになっていて、日本だけウイルスが見逃してくれるなんて訳がありません。イタリアでは政府・住民ともにウイルスの感染力を過小評価して、ご存知の大惨事になってしまいました。日本も負けず劣らずの高齢化社会ですし、これは人の命や尊厳に関わる問題なのです。イタリアと同じ轍を踏まないで下さい。どうか皆さま、やりすぎじゃないか。と感じるほど気を付けて、お大事に過ごしてくださいませ』
私がトリエステで滞在時、お家に宿泊させてもらった音楽家の友人の言葉です。
追伸、彼から こんな言葉もかけてもらいました。
やすこさん 美味しい食べ物は何より大事です。
お元気で!
イタリアにいつもの日常が戻ったら、私はイタリアへ向かいます。
私の住む北海道も、2月末に緊急事態宣言が発令しました。
発令が出た翌日は、街も閑散とし、スーパー、ドラックストアに行くと殺伐とした雰囲気で、心までが沈みがちになりました。
3週間の自粛生活、普段とは違う日常なので、混乱はしますが、よくよく考えると私は現状健康な身体で、特に困った事(身体に関して)はありません。
仕事に関しては、色々と支障はありますが、それはいつか挽回出来るはずです。
健康な身体とやる気があれば、何とかなりますもんね。
今後も、見えないウイルスの恐怖を退治出来る迄出来る事は、極力協力しなければと、思っています。
引き続き、美味しいもんのご提案をしつつ、日常生活も、十分に注意して過ごしたいと思います。
食は命。
どんな状況になって食べる事は大切ですね。
Forza Italia!