第21回『星に思いを♪』

 

泣いても笑っても、心を不安にさせても、ワクワクと躍らせても2020年も、残り1か月を切りました。

どうせなら、愉快に楽しく、来年に思いを馳せて12月を締めくくりたいですね。

今日は、広島から島みかんが届きました。小ぶりで皮が薄くて、酸味と甘さのバランスが絶妙で、味が濃くて、スーパーで見かけるみかんとは、ちょっと違います。

北海道にいながら、新鮮な柑橘を楽しめる事。当たり前の事じゃない。と

今年は、特に感じます。

生産地、信頼する生産者と出会えた事に感謝です。

私の12月は、みかんを食して、師走が来る~と実感するわけですがバタバタしているうちに、また一つ歳を重ねるのが、12月です。

今年に入り、友人が占星術(ホロスコープ)にはまっているのを知って私もちょっと調べてもらうかな?と思いアクションしました。

占星術は、ホロ(時間)をスコープ(見る)特定の時間と出来事の共時性を読み解きをし、進めるらしいのですが肝心なのは、何処で生まれて(出生地)、いつ(生年月日)何時に?(出生時間)がわからないと、本軸の箇所までは、正確に読み解きは難しいという流れにはいそれなら!と、電話しました。母に(笑)

そう言えば、、母子手帳なるものを母から見せてもらった事がない(と言うか、全く気にも留めていなかった・・・です)

まず電話で、母子手帳あるの?(回答は、予想はしていたけど、予想通りである)

「やすこのか?ねえ(無い)よ」やっぱり…

何でないの?(とりあえず尋ねる。決して母を責める為に、聞いたのではありません(笑)

あの当時は、そんな時代だったんだ…(と母が言い訳をしました(笑)

そしたら、何時頃生れたか?覚えてる?

「ん……. 」受話器越しに、四人いる娘たち(私は末っ子(四番目です)の生れた時間(正確に言うと、朝なのか?夜中なのか?昼間なのか?)を

長女の姉から順に、思い出していて、私の番が来ると、記憶がとってもおぼろな様子。

ん….わがんね。忘れた。一人だけ昼間生れた子供がいたから、きっと昼間かも知れない。とそれだけなんです。(笑)さすがに、長女(私とは、7つ違いです)が朝に生まれて、母子手帳も金庫から見つかったらしく(さすが長女です!)

繰り返しますが、私は4女(高橋家の末っ子娘として生まれました)。

幼少期の写真は、ほぼ無く、色々な行事もほぼ省略されて育ってきました。

誕生日は、クリスマスパーティーと合同。七五三(写真もないので、省略された?)

人生のメモリアルというものは、ほぼ縁が無く、そんなんだからか?

記念日という(よくお付き合いした男性と交す、記念日ごっこ?)ものには全く興味を示さず、現在までに至っております。

それが、自分の生まれた時間を知りたいな!と興味を示して、母に聞いたけどラチあかず、次に頼りになるのは、7つ上の姉の記憶です。

母は、4人の娘達を全員実家で(産婆さんに来てもらい)産みました。

函館に暮らす姉に、同じ事を尋ねたら、「母さん覚えてないの?」と大笑いされ次にはこれでした「父さんがショックうけながら、階段降りて起きてきたのは覚えてるわ。。。女だって言って」

だから、昼間だったと思うよ。正確な時間はわらないけど。

これで、私の出生時間は、「昼間頃」という曖昧な感じでしか判明せず、冬なので、15時過ぎには暗くなるので、正午過ぎくらい?

引き続き、お正月帰省時に、また記憶を辿り、手掛かりを見付けたいです(笑)

4人目あるある話ですが、産婆さんが、4人目は男の子みたいだよって父に期待を持たせていた様子で、待望の長男誕生を心待ちにしていた父にとっては、当日はちょっと肩透かし?ガッガリだったのでしょうね。

先日の、母からの電話で、もう一つ事実が判明しました。

私が生まれる前の日に、産婆さんが、あれ?男じゃなくて、女みたいだわ。

母は、その事は父に話す事もしないまま、私が誕生。

父がショックからかけた言葉が「まだ女が!ママ食わせね~」

やや複雑な気持ちで、母の出産を労ったらしいです。それは運命だから父さん(笑)

生れる前に、女の子だと知っていた母。父に話す事なく、父は天国へ

出生時間騒動で、今回新しく判明した出来事で、母は姉と笑いあえたし、めでたし。

私が女性ではなく、男性として生まれていたら、どんな人生を送っていたのか?

男性であっても、女性であっても、両親の娘として生まれて来た事に最大の敬意と感謝をしています。

何もない田舎ですが、何不自由なく育ち田舎の不便さが、最高の食育環境で過ごした私が、今の私のベースを作っています。

姉妹揃って、家の手伝いを本当に(本当に)しました。

私が幼少期(3歳頃)、一番記憶に残っている風景は、やっぱり家のお手伝いです。

4人姉妹色違いで、揃えてもらったヤッケ(防水加工の上着の事)に着替え(朝早く起こされて、階段の上に引っ掛けてあるヤッケを外し袖を通すと、イカの生臭い匂いがしていて、いつも息を止めながら、着ていました)

海の潮風が当たる崖側にある、イカ干し用の棒に、イカの足をかける係が私でした。

時には吸盤が手にひっつき怖いけど、怖いと言えない幼少期忙しい家だったという記憶だけ、残っています。

そこへ嫁に来た母ですもん。私が誕生した時間をも、忘れてしまう位忙しい毎日を送っていたのだと、察しています。

そんな時代だったんだ…。母が発した言葉に納得です。

もう少しで、1年ぶりの正月帰省となりますが、無事に帰れる事を楽しみに、あと3週間張り切って参ります!

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1件のフィードバック

  1. 末っ子あるある!
    我が家は母子手帳は全員分ありますが、末っ子の私のものはほぼ何も書かれてません。
    写真も行事も省略なので、七五三という言葉も友達から教えてもらって知りましたね(笑)

    小さなやすこちゃんが我慢して生臭いヤッケを着て一生懸命お手伝いしてる様子、ご家族総出で商売に取り組んでいる様が見えてきました。

    次回ブログも楽しみにしてまーす^ ^

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