第7回『天国の父へドルチェを届けよう』

 

春のお彼岸シーズンになりました。

私は今年も手作りドルチェを作ります。

5年前の3月16日に父が他界しました。

お彼岸シーズンに突然天国へ旅立ってしまった父に、毎年札幌から焼き菓子を作り送り続けています。

 

今日はちょっぴり甘酸っぱいレモンと父の思い出を。

父が亡くなる1ヶ月少し前に、札幌のTV局から取材の話をもらいました。

番組テーマは、国産レモン特集。

国産レモンを使った料理を紹介してもらいたいと依頼があり、オッティモのキッチンでレモンクリームパスタ、シチリアの郷土料理ベッカフィーコ(いわしのオーブン焼にレモンの風味を添えたお料理です)を紹介しました。

レモンは、以前ブログでもご紹介した広島瀬戸田産の無農薬レモンです。

依頼を引き受けた理由は、父への親孝行でした。

放映予定の番組は、父が実家で観ていた番組だった事もあり、入院中の父も喜んでもらえるかな?という思いもあり引き受けました。

結果 父は番組を観る事が出来ないまま天国へ旅立ってしまいました。

放映日も決まり、母には連絡していたのですが、まさかその前に父が亡くなるとはその時は全く思いませんでした。

私は父の葬儀を終え初七日までの実家滞在中、放映を母と姉達と視聴した。

という。。。レモンだけに甘酸っぱい思い出となりました。

 

親が亡くなるという経験は人生でこんなに悲しい出来事ってあるんだな、というのが私の感じた気持ちです。

急な知らせだったので、心の準備も出来ず結局父の最期にも私だけ間に合わず終いでした。

父が亡くなる年に正月帰省時、私は魂の中で父との最後を感じとったのか?

(今になって理由付けになるかも知れませんが)ちょっと不思議な感情が私に生まれました。

父は透析患者でした。

冬場は病院通いが難しい為、実家から車で25分の町立病院へ入院し治療をしていました。

正月休みは、家族と迎える為に、大晦日と元旦だけ実家で過ごし病院へ戻る日の朝、父と食卓を囲み朝ごはんを食べました。

生きることは食べる事。

日頃、食に喜びを常に感じる父でしたが、何だかそのエネルギーが失われてるように感じてしまいました。

父の様子を見て、私は食事中に涙をポロポロこぼしてしまいました。

とても悲しくてポロポロ、ポロポロ。

親の前で涙を流すなんて恥ずかしい。

思っていても、涙が止まりませんでした。

玄関で見送った後ろ姿が、最後となった訳ですが、私はあの時に父との最後の別れを悟っていたのだろうか。

ふと亡くなった時に思いました。

お別れの言葉、感謝の言葉も伝えられずに旅立ってしまった父へ亡くなってしまったけど、感謝と愛を伝えたいな。

仏教用語の49日の意味を調べたら、命日から7日毎に極楽浄土へ行けるか?

裁判があると書いてあるじゃない!(それまで49日の意味を知らずにいました)

よし!極楽浄土へ旅立つ父に、7日毎にお菓子を送り昇格してもらおう!(笑)

それから7日毎に、私は札幌から様々なお菓子を焼き、松前の実家へ送り続けました。

その中のひとつが、レモンケーキです。

春は香りがいいものを食すると、身体が喜ぶ 美味しいもんが家族の中で一番大好きだった父。

美味しいもんを見つけては、食べに行くのが好きだった人でした。

男性ですが、料理も上手で、道具や食器にもこだわりがあった父でした。

私の遺伝子は母譲りだと思っていたのですが、そう考えると父の遺伝子だってしっかりと受け継いでるように思います。

7日毎に手作りのお菓子を作ったお陰もあり、3月のお彼岸シーズンはレモンケーキを沢山焼いて、皆さんへ喜んで頂いています。

結果自分の為になったという結末ですが、継続は力なり。

経験は腕を磨きますね。

実践あっての成果が少しずつ積み重なり、オリジナルのドルチェのバリエーションが増えています。

 

葬儀の時にお世話になったのが、町内のお寺のお坊さんです。

私達4人姉妹から生前の父がどんな人だったか?尋ねられ色々思い出話をしました。

お坊さんが付けてくれた父の戒名には、慈愛という名が付いてました。

慈愛に満ちた人だった父にぴったり。

家族も気に入っているので父もお気に入りだと思います。

もの凄い力で頑張った時は、いつも父が頭を、なでなでしてくれてる気がします。

今年の3月は特に感じています。

個人商店だろうけど頑張れよ!って。

生前に父から電話がかかってくると、必ず言うセリフがどうだ?景気いいが?天気いいが?でした。

漁師育ちの父はまずは天気の話題から。

漁師から呉服商店へ転職をした父と母。

その娘の私は個人商店オッティモで輝き続けていますよ 父さん。

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