NHKスペシャルの「新・自動車革命」のレポートでショックを受けた方、多いのではないかと思います。
むろん私もその一人。私のショックを以下に整理してみました。
▼ショックその1
自動車技術。とくに環境技術では日本は最先端にあると思っていましたが、中国、インドなど、またアメリカの技術と比較しても必ずしもリードと言うほどには優位ではないこと。とくに脱石油のエースである燃料電池などでは浅はかにもダントツと思っていましたが意外でした。
▼ショックその2
石油に依存した自動車はもはや時代遅れであること。
世界の技術は脱ガソリンに向けて大きく舵が取られ始めたこと。
そうした中では日本はアナクロ的。政府の施策を見ても石油資源への依存が高いようで後手に回っている印象。日本が誇るハイブリッドも過渡的な技術に過ぎないのでは?もはやエネルギー技術でも大国ではないことを実感。かつてのオイルショックを乗り切った経験が過剰な成功体験となっており、発想の切り替えが十分に行われていないのでは?同時に日本は自己満足と自画自賛でいつのまにか後れをとっているという悪い癖から抜けきらず創造的なイノベーションの取り組みには相変わらず消極的であることを実感。
▼ショックその3
構想力の乏しさと構想をデザインする思考の幅が狭いこと。
アメリカのグーグルがリーダーシップを取るスマートグリッドのようなITとエネルギーシステムそしてモビリティを統括するような発想が聞かれないこと。
政策的には環境をテーマに次世代懇談会が開催されたとのことですが、従来自動車の市場活性が目的のようで果たして世界をリードできる構想に基づくものなのでしょか?気になります。
日本はいつでも部分最適は得意としているようですが、まったく新しいクルマづくりや移動システムづくりは不得意かも。効率や改善ではどうにもならないのが世界の潮流のようです。
アメリカのベンチャー企業の経営者が述べているように、自動車への固定概念を持っている自動車企業からは新時代のクルマは開発されにくいと言う発言が心に残りました。曰く「自動車は家電だ!?」
▼ショックその4
マーケティング発想の貧困と革新の芽を育てる風土が以前に増して乏しくなっている気がすること。
とりわけ思うのは収益へのこだわりが強くビッグマネーが得られるものしか関心がないのでは?その結果ターゲットとして想定するのは富裕層に偏重。真剣に取り組むのは「お金持ち」をターゲットとする開発が多い。しかし、金融におけるマイクロファイナンスや家電での貧困層へのアプローチ、自動車ではインドのカーメーカーが主張する世界の貧しい人々にクルマを浸透させ底辺市場を確保しブランドを築き上げるという考えなどグローバルな流れは世界に多数存在する貧しい人々の市場化が標的。
しかしこの考えは日本企業には馴染まないようです。日本企業の発想は日本技術は優れているから貧しい人の市場が成熟したら日本製品に流れると言う読みらしいが果たしてそううまくいくか?
以上、私的なショックを勝手に列挙しましたが、いずれにしろここにきて大きく世界は変わってきたと言うことです。トヨタがF1から撤退すると決断したこと自体、20世紀的思考への決別の覚悟がうかがわれましょう。
▼ふたたび「あなたは何を売っていくのか?」
同時に身が引き締まる思いで私たちマーケターはマーケティングの「基本のキ」である「あなたは何を売るのか」に回帰して思考をフォーカスすべきではないでしょうか?
何を売るのか、そして売るモノ、「品質性」も「機能性」も社会との関わりで変化します。時代の転換は「いいモノ」の転換でもありましょう。これからは「いい」の中身も変わるし「やすい」も同様だと思います。
かつての成長産業は「何を売っていたのでしょうか?」わたしは一口に言えばそれは時代の夢=時代固有のロマンではなかったか、と思います。
わたしたちは忘れていることですが、振り返って見ると日本の家電・自動車など3Cと呼ばれた産業の成長エンジンは戦火に焼け出された「貧しい」人々に夢を与えたことではなかったでしょうか?
申し上げるまでもなく技術も製品もそれだけでは市場づくりはできないことは歴史が証明しています。例えば家電は女性の労苦からの解放を、自動車はあらゆる人に移動の自由を、そしてITは人々のつながりをロマンとして掲げ人々を豊かにして市場を創造してきました。
そしていまさらながらに、、かつてお会いしたある自動車企業の副社長が持論とされていた「技術はヒューマニズムだ」・・著書【エンジンのロマン】を思い出します。
いま変わりゆく世界は何を課題としているのか?何が人々を魅せるロマンなのか?
こうした根本の課題にマーケターは解を求めねばならないと思います。