最近、ちょっと惹かれた広告があります。
女性誌FRAUのポスターで、全部で5枚くらいのマルチプルに展開したもの。
掲出場所は地下鉄有楽町線の永田町駅の、半蔵門線へつながる長い下りエスカレータ脇の壁面に沿って飾られたポスターでした。
極めて特殊なスペースで、また駅貼りという僅か1週間に限定された掲出でしたので気付いた人は、少ないかもしれません。
メインのキャッチフレーズは「恋せよ、オトナ」でした。
このフレーズは、1枚でも成り立つことを考えたポスターに使用されたものですが、残念ながら、これのみでは、たいした訴求力はないのでは?と思います。
他の駅での掲出は1枚きりで、ありきたりの女性誌広告に過ぎず、正直、気に留めることもない出来映えだったからです。
また、仮に複数枚同一表現を連続して展開しても同様であると思います。
それでは何がこのポスターの魅力となったのか、それは複数枚を使った物語性とそれを語る「オトナの恋」についての視点の豊かさです。
ビジュアルは「赤い糸」をモチーフにした白バックの、それぞれの多少変化はあるものの、シンプルなデザインですが、その表現に盛り込まれたコピーとサブキャッチおよび展開には正直唸らされました。
恋の文化は、伊勢物語や源氏物語などいにしえ人の専売特許と思っていましたが、いまやっとこの文化が、オトナの女性達の文化となってきたのでしょうか?
結婚しない女性が輩出する昨今、僻みや嫉みではなく、恋を、出会いをエンターティメントとして受け止める女性側からのこうした洗練された恋愛の提案にオトコは応えていけるのか、心配ですが・・・。
いま、技術格差がなくなり同時に情報価値は相対的に低下してきています。
ターゲットが見えず、差異を何に求めていいかわからないという現状に、効率、低価格、機能・技術の微細な差別など、さらには販売努力など声高にモノ依拠するパワーへの回帰が叫ばれがちです。
しかし、こうした従前の活動はもはやムダなあがきのようです。
現実を直視すれば「社会」は狭くなり、価値の共有は社会全体というより社会という海にあって価値と共感でつながれる人だけが集う価値観の島。
その島では人々は孤立を怖れ、「優しい関係」の維持に神経をぴりぴりさせています。
情報時代は営みや人間関係への不安に充ちた神経過敏時代でもあるのです。
そうした風潮にあって私たちが行うことは、日常の営みの新しい意味づけであり存在そのものの価値づくりでしょう。
そしてその意味や価値を物語として語り表現するサービスやモノを共感のメディアとして提供していくことではないでしょうか?
このことを前回のペリエ・ジュエの表現もそうですが、このFRAUのポスターシリーズもまた証明してくれているように思います。
「恋せよ、オトナ」では心は動く歳ではありませんが、男と女の変わらぬ物語として多面的な意味づけや提案に出会うことは購買への大きな動機付けとなり得ます。
それには人とその営みへの素養とそれぞれの価値の島を繋ぐオトナのパースペクティブが前提。
クリエーターの皆さまがんばってね。