先日、地元の市民ホールで開催されたコンサートに出向きました。新人の女性バイオリニストの協奏曲と、かのマーラーの交響曲No5が演目。入場料はA席で3000円ということで、休日の気楽さと好奇心から出向いたのでした。天候はあいにくの土砂降り・・・?
しかし、驚いたことに広いホールはほぼ満席でした。そして演奏もまた想像を裏切って素晴らしい演奏で、帰宅後、バイオリニストのブログを探し、思わず賛辞を投稿したくらいです。
と同時に、音楽関係者の友人が、よく愚痴る音楽ビジネス、とくにクラシックの不況って、ホントウ?って思ってしまったのです。
以前から耳タコですが、クラシックを初めとして文化事業の低迷や不採算についてどこに行っても耳にします。捨て台詞は日本は芸術を消費する文化が育ってないよ!です。
しかし、今回のコンサートに限らず、聴衆は存在しているし、欲しいCDは売り切れです。
これは音楽に限りません。演劇、出版なども同様です。自信を持っては言えませんが、日本ほど・聞き手・読み手のヒト、会場、流通、大なり小なりのメディアなど文化の発信力、楽しめる環境、購買力など市場のポテンシャリティが整っているところは、他にないのではないでしょうか?
無責任な素人との戯れ言かもしれませんが、これはプロと称する業界人の市場の掘り起こしへの怠慢と市場活性化への思考力の不足に原因があると言えましょう。
もちろんこれは文化事業に限ったことではないと思います。
例えば「情報」を巡る停滞です。一時技術大国を誇った日本企業は、いまや凋落の一途を辿っているかに見えます。
最近のi−Podが、なぜ日本では開発できないのか?グーグルは?フリッカーは?など例を挙げれば気分は暗澹です。
日本人はバカになってしまったのでしょうか?そんなことはあり得ません。問題は顧客ニーズの見方、プロダクトのデザイン開発発想、クリエイテビティを実現する組織の考えが、柔軟性を失っていること、とくに人々のニーズの発見と実現に際しては、企業や業界の視点に囚われた点的発想に偏し、社会的な、さらには文化的な視点に立った、いわば面的な発想と構想力が欠落しいるためではないでしょうか?
アップルは、i−Podというプロダクトは、音楽映像情報を・楽しむ・編集する・入手する、を一元化したサービスのシステム化そのものだと主張しています。これは決して耳新しいことではありません。
かつての成功した事例は、精緻なプロダクトにのみに依存したものなどないことは、過去を振り返れば明かです。
不況のもと、大型化、低価格などが叫ばれていますが、果たしてそれで生き延びることが出来るか?です。鳴り物入りの東京郊外のショッピングセンターもスタート当初から暗雲が立ち込めています。柳の下にはドジョウは多くいないことがおそらく証明されるでしょう。
変化への対応への脱点発想の姿勢が問われましょう。