第155回『J/ボンドに見る「男社会の終焉」』

 007の新作をご覧になりましたか?ダニエル・クレイグが新しいボンドになったシリーズ第二作。従来のモノと様変わりして来ていますが、今回とくに従来にはない特徴は、まずはあれやこれやの仕掛けのあるガジェットが登場しないこと、また主役のボンド・ガール(オルガ・キュレンコ)との濡れ場がないこと、さらにタイトルバックに流れる音楽が男女デュエットだということなどです。
人気映画の、この変化は私には「3つの大きな変化」が芽生えつつあるように感じました。

女性の役割が変わった!
 ひとつは男と女の関係の変化です。オルガ・キュレンコが扮する女性は、ベネズエラの諜報部員なのですが、復讐に賭ける女性でもあります。彼女は目的のためには、女の武器を使うことも厭わないのですが、同時に男には、ボンドといえど媚びを売らない女性です。
 
 もうひとつはクルマのシンボル性の変化です。名車アストンマーチンDBSは登場しますが、ボンドにより徹底的に使用尽くされます。登場する他のクルマもまったくそっけない扱われ方で、クルマが女によろこばれる、または女をそそる誘惑のメディアとしては位置づけられていないことで、いままでのクルマのシンボル性は、ばっさり切り捨てられた感がありました。
007でのオルガ・キュレンコも恰好よくクルマをこなしていましたが、クルマに縛られた、ある意味では「乗られる」女性ではありません。ボンドとの関係で言えば、セックスパートナーではなく、むしろセクシーな戦友と言った方がぴったりでしょう。
 映画は文化を表現するメディアのひとつですが、まさにこのボンドシリーズは、新しい文化の文脈に則って作成されているように思えました。

シンボルが変わった!
 話は変わりますが、不況の影響もあり、製品・サービスのコモディティ化は急速に進みつつあることは、皆さん肌で感じておられる通りでしょう。そしてこのコモディティ化への対応は、まずは価格を中心とする営業支援とシェアのさらなる拡大。もう一つは、イノベーションによる脱コモディティへの道の追求でしょう。日夜努力に明け暮れているいまの営業、マーケ双方のコモディティ化への取り組みを否定するモノではありませんが、いずれにしろ、いま起こりつつある文化変化への対応には鈍さを感じます。
例えばシンボルの代表「クルマ」のCMです。J/クルーニーの出ているCM、D社の夜会服を着た女性タレントのシーン、T社の女性グループが出ているミニバンのCMなど、首をかしげざるを得ない現実との乖離です。

かっこよさが変わってきた!
 僅かの表現事例から、憶測してはいけないと思いますが、どうも日本のCM制作者、企業の宣伝マンたちは、恰好いい女性像や新しい家族のありたい像を掴んでいないのではないか?と危惧します。ヒラリー、ライス、ミッシェル、さらには元死刑囚金賢姫など「かっこいい」彼女らに相応しいクルマは何なのか?
女性の役割が変化している中で、家族はどうありたいのか?ひいては「かっこよさ」とは何なのか?
これはクルマに限りません。
住宅、ファッション、食、その他、本当の意味で「女性」の時代の到来です。
女性たちは、消費するだけの役割から離れて、社会を創る役割を担ってしなやかに生きはじめている気がします。
そしてこのことは、「男社会の価値観の終焉」に通じる道でもありましょう。
マーケターは、この「新しい現実」を直視し女性が主役の時代の「かっこよさ」を発見することで「変化」を提案しなければならないようです。

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