もり、ざる、天ぷらそば、または、かけ、花巻、天ぷら。ご存じ蕎麦やのメニュー。ベースは、同じだけれど海苔やタネのトッピングで味も、価格も違ってきます。よく、「もり」と「ざる」では、つゆが違うという説もありますが、ほんとうでしょうか?。
また、割烹店では、松竹梅というメニューのグレードもあります。つまり、一つの世界、つまりグランドデザインを設定して、それを料理の単品パーツに分割し提供しているようでどうも発想は同じ気がします。とくに、感心するのは、価格差はあるけれど、イメージ的には優劣をつけていないことです。だから、お客は、懐具合い、腹具合と相談で、誇り高く?オーダーができる仕組みになっているということです。いつから、始まったものか、知りませんが先人の知恵には感服させられます。
というのも、さる有名レストランでの会議で、価格志向に走らずにお客様を満足させるメニュー提案ができないか、と言う話題になったとき、この蕎麦やのビジネス方法が浮かんだからです。価格というのはわかりやすく営業手段としては即効性があります。しかし、昨今、この価格志向へ依存するあまり多くの企業が、収益を落とし自ら首を絞めているのも無視できない現実です。
それではどうするか。蕎麦で言えば、「ざる」に、松竹梅では「竹」に誘導する提案が必要ではないか、と言うことです。来店前に、お客様のニーズは、出来るだけやすく食事を楽しみたい、と思っているのが普通です。しかし、テーブルにつくとニーズも変わり、周囲の人のメニューに目がいくのも人情。また、ちょっとの出費をプラスすれば、より満足度の高い楽しみが得られることもわかります。そのためにはわかりやすいメニューや演出が必要でしょう。最近は話題に出なくなったようですが、インストアでのコミュニケーションが、依然として、というより今だからこそ重要です。
なぜか、最近、サービス提供者は、お客様を楽しませると言う観点で、トータルに発想することが苦手になっている気がします。また、お客をどこに案内するか、という姿勢も不足です。つまり、マニュアルで育ち、また、効率や生産性追求に偏して、全体を鳥瞰する視野が欠けてきている様に思うのは私だけでしょうか。
パイが縮小する時代のきびしい現実が、ビジネスの多くの分野にのしかかっています。かつてご教授頂いた先生は「江戸時代は縮み指向の時代」と喝破されました。しかし、その中から、文化の華が開いたのも事実です。その理由の一つは、量的指向から脱し質や変化へと目を移していったためでしょう。