第18号『豊かさの再デザイン』

最近、グローバル化の進展に伴って、多くの日本企業が海外各地に進出し、それに合わせて日本人社員も多数派遣され活躍しています。
そしてこうした人々は、自身の生活を顧みず朝から晩まで長時間にわたって献身的によく働くそうです。
そうした日本人社員の働きぶりを目にして、現地の人は、感心するとともに、日本企業で出世をするにはあのように働かねばならないのか、と思うと同時に、あれだけ働いても手に入れる生活は、あの程度か、「それなら自分はやめた」、と結論づけるそうです。
それは、現地の人の考えでよいのでしょうが、問題は、この考え方が、駐在の日本人社員、とくに若手に強い影響を与え、彼らは現地の人のこうした考えに出逢い、動揺し、折角のエリートの座を捨てリタイヤする現象もかなり頻繁に起こっていることで、社員の管理上、大きな悩みとなっているとのことです。
これはある大企業の経営者の方から聞いたお話です。
事実、わたしたちは、何のために働くのかを考えずに生きてきていました。
そして私たちを動機づけてきたものは、モノの取りそろえ、すなわち「豊かさ」の実現、という単純な価値観です。しかし、いまやそうしたモノにより得られる夢は、なくなっています。
いまのわたしたちは、退屈だと死にたくなる、という具合で、モノよりも心の刺激に飢えているし、どん欲になっていると思います。
人間は心で生きる動物で、モノのみで満たされ、生きられるわけではありません。
そのことがここにきてはっきりしてきた気がします。
いまTVでは、戦争が報道されていますが、この戦争には、「夢」が感じられません。
見えるのは、物欲の固まりである帝国が、よりおおくの餌を漁る姿でありましょう。これほどいまのわたしたちの夢の欠如を端的に物語るものは無いと思います。
戦禍の後に何があるのか、これは戦争の問題ではなく、わたしたちの生きるデザイニングの問題であります。
とりわけ、考えなくてはいけないのは、「豊かさ」とは、何かです。その方向は、例えモノが満ち足りていなくても、他人に豊かさや温もりを感じて貰える暮らしであり、同時に、現実の中から、それらを創造していく心性と創造力の豊かさではないか、と考えます。
世界に広がる反戦の輪に希望を託しつつ、戦わないこと、耐えること、他を認めることの必要など、20世紀のマッチョな思考とは対極の発想の必要性を、ふと思ったことでした。

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