第6号『9.11』

あのNYの悲劇の追悼式が全米各地で行われているようです。アメリカのコマンダーのこぶしを握り締めてのテロリスト撲滅への決意はともかくも、この事件は20世紀型の消費社会のあり方に大きなインパクトを与えたことは時の経過とともにますます明かになってきたような気がしますが、皆様いかがでしょうか?折りしもこの9・11に先だって南アフリカのヨハネスブルグで地球サミットが開催されそこで打ち出された「グロバ—ルシェアリング」の理念もまた、私たちのこれからの発想に強く影響を与えざるを得ないと思います。
言うまでもないことでしょうが、20世紀は機械の時代と言われるように、機械の論理である効率、生産性に偏ったいびつな社会であり、マーケティングは機械の要求に応えるべくニーズを創り、効率よく創られた大量の製品を買わせ、使わせ、消費させ、または一方、飽きさせたり、流行遅れにさせたりするなどのライフサイクルの短命化をはかるなど、大きな役割を担ってきたと思います。
その結果が9.11の悲劇を招き、富める国と貧困に喘ぐ国と言う図を描き出したのは事実でしょう。しかし、9.11を境にして、過度な20世紀型思考から生まれた負荷、弊害の解決を図る動きが徐々に芽生えてきたのはうれしいことです。ヨーロッパにおいてのフェアトレード運動、耐久性のある高品質のものづくり事業の成功など、9・11移行に加速的に広がっているは典型例でしょう。日本でも同様です。
先日、ある大企業のトップとお話した際、設計思想を脱20世紀型へと方向転換するべく努力していると言われていました。そしてその方向とは、固くて恐縮ですが「技術の社会性の復権」だそうです。また、世界的コピーマシンのトップは、これからの地球社会で生き抜くには製品を売るのではなく「サービスを売る」ことだと同社の事業戦略を語っています。
どうやらサントリーのかつてのCMではありませんが、「時代はぱっと」変わるような予感です。しかし、こうした変化に、いわゆる大衆はついていけるのか、大衆消費社会に生きた私たちが21世紀ビジョンの挑戦を受けている気もするのです。19世紀の大衆が機械撲滅に走ったように時代の転換は口に甘いものではない、のもまた歴史の現実ですから。

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