ある大手百貨店で販促スタッフとして勤務する中堅社員が、リストラの対象となったが、なんとか難を逃れ支店に働く場を得たという話を親戚同士、新年の顔合わせの折、耳にしました。
「よかった、よかった」の話です。
しかし、きびしい目で見れば、百貨店の販促担当として彼は本当に欠くべからざる人材だったか?と考えると彼が居場所が在ったこと自体、その企業のあり方が問われるのではないか、とも思われます。
と言いますのは、私は宣伝、販促、広報部門は決められた予算を単純に消化する、いわばコスト部門である時代は、終わったのではないか?
また終わらせるべきだと考えるからです。
こうした部門は、多くの経費を使う割りには費用対効果が見えにくく、かつ専門用語が氾濫し、それを振りまく疑似専門家が支配的。で、部外者には、わかりにくい、聖域とすら言える部門でした。
そして、いまもそうであると言っても言い過ぎではないと思います。
しかし、これからのこうした部門の経費は、営業部門とは異なる方法で、収益に貢献する方向に位置づけられるべきでしょう。
ブランディングなどその最たるものです。
また、変化する市場への先行的な投資、市場・流通開拓のためのタネ金である役割もありましょう。
こうした活動には、当然のことながら起業家的感覚、事業経営者的感覚が必要です。
そうした活動は、リスクを伴いがち。
そして動けば動くほど周囲の目は厳しく、居心地も悪くなるかも知れません。
しかし、恐らくほとんどの事業者の経営環境は、何らかの革新が求められているはずです。
そしてその実現や達成には常に「創造的な破壊」を志向する挑戦的なアクションがなければ不可能でしょう。
身内贔屓ではありませんが、確かに、先の人物は、学歴も、人柄も、専門知識も持つ人材です。
仕事もこつこつこなし、誤りもない。
しかし、それだけでは、これからの事業環境には対応できないでしょう。
ある意味、彼は若いのにもかかわらず過去の人かもしれません。
これからの人は、おそらく自ら動ける人でしょう。
先頃、某紙上、さるコラムニストが、「時代が、自分では考えられない、動けない人を多く作ってきた」と述べておられました。
もし、彼もまたそうした時代の子だとすると、今回はリストラを逃れても、この先、その波を越える難しいのでは・・・、と危惧するのです。