今年も拙い文章にお付き合い願いたく、よろしくお願い申し上げます。
巷では今年はデフレを脱して、経済は再びバブルを迎えるそうな。
そんな噂の裏付けとして、デイトレーディングに励む知人から、一日50万円単位で稼いでいるとか、羨ましいようなメールが届いております。
都心の土地も値上がりして、再びのバブル到来に胸躍らせる人も多いことでしょう。
また700万円から1000万円もする高級車の売れ行きが、想像以上によいとの話も漏れ聞いています。
購入の動機は、知財としての自動車への欲求ということで、そのオーナシップはある種の「知的な人間性」を保証するものであるとか、マーケターの分析です。
価値観がモノから技術、特許、ブランドと目に見えないモノへの評価へと移行しつつあることは実感しているところですが、結局は「モノ」に落ちていかないと満足しないのが人間なのか、と思うのが、このクルマを含む、いわゆる高額商品ブームです。
所詮、私たちはモノの消費文化の呪縛から逃れられないのでしょうか?
そして過剰なモノによる顕示的な生活を脱皮出来ないのでしょうか?
過剰な消費は限界に来ているという認識は21世紀のひとつの見識である筈です。
最近、酒席で「清貧」が、話題になりました。
私見ですが、清貧は豊かさを前提に成り立つ知的なライブスタイルのひとつと思いますが、皆さま、如何でしょうか?
バブル復活が予見されるいまの状況を垣間見ると、なんだか「豊かな日本」の経験は幻影に過ぎないのかとさえ思えます。
もし「知」を所有することが、ステイタスとするならば、いま必要なことは、「知」のアイテムを増やすこと、そして「知」に差別的な価値観を付与し、ライブスタイルを変えていくことではないでしょうか?
そうしたマーケティングへのキーワードは、「生命」「環境」、「文化」「人間性」などでしょうし、モノは、これらを促進し「豊かさ」に繋がるモノであって欲しいと思います。
新春「ブラック・ジョー」と言うブラッド・ピッド(死神)&アンソニー・ホプキンス(死ぬ人)のTV映画を見ました。
ある大富豪の死に直面したドラマでしたが、随所の散りばめられた生についてのセリフと、栄華を極めた男が培ってきた人間性の豊かさが見事に描かれ感動しました。
このドラマは、西洋風「清貧」のドラマです。
結果、豊かさが足し算でしか充たされない時代は、もう終わりにしたい、そんな気持ちになった次第です。
三椀の雑煮かゆるや長者ぶり 蕪村
*蛇足ですが「かゆる」は「お代わりをする」ことの意味