「天高く馬肥ゆる秋」で、まさに秋が深くまるに連れて、食べ物も、さらに美味しくなる季節となりました。
まことに結構なことですが、しかし最近はメタボリック症候群を初めとして、なにかと肥満にまつわる話題が巷間をにぎやかして、楽しかるべき食事にもやや水が差されている状況です。
そんなわけで、かつては「ご飯をちゃんとたべていますか?」という故郷からの健康を気遣う母の便りも飽食の時代には「ご飯は選んで残すように」と変わって来つつあるとか、さるコンサルタントの話です。
今秋、吉野屋などの牛丼チェーン、焼き肉チェーンの米国産肉の復活が話題になっていますが、TVで見る限り、腹一杯食べたい、やすいから腹一杯食べられるなどの歓迎ムード。
かつての「やすい・うまい・はやい」の再来と外食業界は歓迎しているようですが、果たしてそう単純にものごとは運ぶでしょうか?
思うに安全性はともかくとして、こうした量的な訴求がこれからの時代にも、「格差社会」と言え、「下流化した大衆」に広く受け容れられるのか、時代の文脈と合わせてみると大いなる疑問を感じています。
それは健康やグルメ志向、高級志向という表層的な問題ではなく、外食産業の追求してきた、大量生産・大量消費という画一的な発想による市場戦略が時代遅れになりつつあり、時代とのギャップが生まれ初めているのではないか?と感じるからです。
こうした危惧の理由は3つ。
一つはマグロ、海老、サンマなど、また燃料など「資源の制約」が浮上してきたこと、もうひとつは高齢化・少子化に伴う「消費の縮小」、さらには顧客の個客化という価値観の変化と「カスタマイズ志向」でしょう。
とりわけカスタマイズ志向への対応は効率主義を旨とする外食サービスでは大きな課題だと思われます。
私事ですが、秋の連休、「ふたり食事」のうっとうしさから逃れるため、街での食事を求めて「グルメ街」を徘徊しました。
見たところ、人気があるのはチェーン店ではなく、多くは個性のある専門店で、そこには席を待つ人が溢れていました。
そして人気は、セットメニューではなく、フリーチョイスです。
また大盛り単品ではなく、「量」を複数人で愉しむシェアスタイルがテーブルのスタイル。
来店客もリピターが目立ち、サービススタッフとの対話も活発です。
どうやら、これら人気店では、大量仕入れ、セントラルキッチンなどを前提とした工業主義、生産優先の組織が創り上げてきたマニュアルに代表される硬直したサービスとは対極の、当座小口仕入れ、現場主義による工房方式と、それを生かした量、レシピなど顧客が自分のペースでコントロールでき、しかも気楽にサービスを要求できるなどの「柔らかいサービス」の仕掛けがあるようです。